株式会社ヨシノ自動車

トラック業界"鍵人"訪問記 ~共に走ってみませんか?~ 第115回

安全自動車株式会社 代表取締役社長 中谷 宗平 様

安全自動車株式会社
代表取締役社長
中谷 宗平 様

「取引先は「人」で選ばれる。創立108年、安全自動車の信条とは」

安全自動車株式会社の創立は1918年、今年で108年を迎えます。アメリカからの輸入車販売に始まり、戦後は整備機器メーカーへと業態を変えながら、現在は整備工場向け機器と自動車メーカー向け車検設備の二本柱で事業を展開しています。ヨシノ自動車の木更津新工場でも、整備設備の設計から施工までを同社が手がけました。そんな安全自動車株式会社の中谷宗平社長に、同社の歩みと、「工場らしくない工場」をどう形にしたのかを伺いました。

編集・青木雄介
WEB・genre inc.

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中谷宗平(なかや そうへい):安全自動車株式会社 代表取締役社長。
1968年東京都生まれ。1990年に安全自動車株式会社に入社。営業・商品企画・マーケティング分野を歴任し、2008年より代表取締役社長。一般社団法人日本自動車機械工具協会の理事、技術委員長、技術部会長も務める。

高橋正彦(たかはし まさひこ):安全自動車株式会社 専務取締役 営業副本部長兼アフターマーケット事業本部本部長。
1954年 新潟県新潟市生まれ。1974年、安全自動車株式会社入社。2018年より現職。

髙橋望(たかはし のぞむ):安全自動車株式会社 常務取締役 アフターマーケット事業本部副本部長。
1955年 神奈川県横須賀市生まれ。1982年に安全自動車株式会社へ入社。2009年より東京支店長を経、2023年より現職に至る。(中西社長との出会い東京支店長時代)

安全自動車が「大型」にシフトした2002年

―――本日は、ヨシノ自動車木更津新工場の整備設備を手がけた安全自動車さんにお話しを伺っていきたいと思います。その内容と同時に、貴社の取り組みやこれまでの歩みについて伺えればと思います。そもそも自動車整備の工具は、乗用車とトラックでは違うことに気づきませんでした。

中谷:実は弊社が商用車のお客様に力を入れ始めたのは2002年度からで、21世紀に入ってからのことなんです。当時、業績が芳しくなく戦略の見直しを図りました。それまでは大型車、乗用車を問わず、ガソリンスタンドやカーショップ等まで様々なお客様に幅広く総花的な営業をしていましたが、大型車市場を見ると、競合はバンザイさんのみという状況でした。乗用車は大手四社が横並びで競合するのに対し、弊社の大型車は当時三菱ふそうさんとの取引が比較的多かったのですが、大型車市場シェアも25%ほどありました。単価も高く、生産性の面でも有利だと考え、そこに軸足を移したのがきっかけです。

―――それが2002年度からということですね。

中谷:はい、2002年度からです。

―――乗用車の整備工具のニーズが減ってきたのでしょうか。自動車自体が買われなくなってきたとか、整備の需要そのものが縮小したということでしょうか。

中谷:いえ、我々の営業スタイルに問題があったのだと思います。そこで外部コンサルタントの力も借りながら「業務改革」と称して、営業スタイルから物流、情報システムに至るまで全て見直しました。その取り組みの真のスタートが2002年度で、ロータストラックネット(トラック整備会社向けの団体)さんが、その後できた時期とも重なります。

中西:僕が家業に入ったのが2003年で、実際にロータストラックネットに顔を出すようになったのは2010年頃からです。まだ4、5年ほどのお付き合いでしたが、その頃には既に安全自動車さんが深く関わってらっしゃいました。

高橋(望):中西社長は私がトラックネットさんに顔を出した頃からいらっしゃいましたから、もう15、6年前になりますね。

中谷:ロータストラックネットができたのが2004年。当時のロータストラックネット初代代表幹事、北海道の金田さんがうちの札幌支店長に声をかけてくださり、当時の高橋(正)が会いに行ったのがきっかけでした。

ロータストラックネットとの縁

高橋(正):ロータストラックネットとの関係は、旭川の金田さんが「札幌で会合があるから、誰か経営者に来てほしい」と声をかけてくださったのがきっかけでした。当時、現在のヤマトオートワークスが全国展開されている段階で、24時間・3交代制という業界初の仕組みを始めており、その運営について当社が機材を納入している事も含め「話を聞きたい」というご依頼でした。

中西:ロータストラックネットの創業期には、メーカーやディーラーとは別に、24時間365日対応できるサービスネットワークを作るという構想もありました。労働基準法の問題や人手不足もあり、近年その部分はやや縮小傾向にありますが、当初はそうした狙いがあったんです。

高橋(正):当時、自社の強みを見極める中で「大型車にはまだまだやるべきことが多い」という結論に至り、大型車分野に注力していきました。ヤマトさん、ロータスさん、現在のSGさんといった大型車関連のお客様と取り組みを重ねる中で、製品開発も進めてきました。

―――なるほど。ということは、ヨシノ自動車さんと安全自動車さんの接点は、基本的にロータストラックネットを介してということですね。ロータストラックネットの中で、安全自動車さんは推薦企業のような位置づけだったのでしょうか。

中谷:協力企業、という形ですね。

中西:おそらく最初の発起人である金田さんが安全自動車さんに声をかけたのがきっかけだと思います。ロータストラックネットは整備業界の任意団体で、その中にメーカーなど提携企業が加わり、会員工場をサポートする仕組みになっています。

高橋(望):ロータストラックネットのホームページの一番下に、協力企業として掲載されていますね。

中谷:元々はロータスグループの分科会から始まった組織で、トラックを主に扱う整備工場が独自のネットワークを作ろうと立ち上がったのがロータストラックネットです。

―――そこから徐々に広がっていったわけですね。

中谷:はい、広がっていく中で、皆さん世代交代も進んでいます。整備業界自体、歴史は創業から70年、80年を超える会社さんも多いですから。

中西:そうですね。弊社も68期目を迎えていますが、この業界には弊社よりも長く事業を続けている老舗企業がまだまだたくさんあります。ですから、歴史という意味では、私たちもまだまだだと思っています。

中谷:弊社も、歴代オーナー家として事業継承をし、私で四代目社長にあたります。

安全自動車を選んだきっかけ

―――さてヨシノ自動車が安全自動車さんに決められたきっかけについて伺いたいのですが、バンザイさんをはじめ他の選択肢もあった中で、なぜ安全自動車さんだったのでしょうか。

中西:実はそれほど深い理由があったわけではないんです。そもそも弊社は整備事業にそれほど力を入れていなくて、むしろ縮小してきた経緯がありました。祖父の代は整備からスタートした会社で、最盛期には川崎、登戸など4ヶ所に整備工場を構えていましたが、オイルショックなどの影響で不良債権を抱え、縮小せざるを得なかったようです。

―――なるほど。

中西:そのため私が社長に就任し、ロータストラックネットとの関わりを深める中で、初めて安全自動車さんとの接点が生まれました。以前使用していたバンザイ製の機器はあったものの、定期的な訪問や継続的な関係がほとんどなく、アルフレッドが新人の頃も機材はあっても営業担当が訪れることはほぼなかったと聞いています。

―――現場の声も伺いたいのですが、バンザイさんと安全さん、機器の使い勝手に違いはあるものでしょうか。

アルフレッド:社長が言った通りですね。以前は営業活動というものをほとんど感じたことがなく、バンザイさんの製品を使っているだけの工場、という状態でした。安全自動車さんに変わってからは定期的に来ていただけますし、メンテナンスも手厚くしていただいています。機器そのものも良いですが、それ以上に「人が良い」と感じます。

中谷:ありがたいお言葉です。営業に限らず、昼夜を問わずお付き合いを重ねてきたことで、関係が深くなっていったのだと思います。ちょうどうちが大型車に力を入れ始めた2002年度と、ロータストラックネットができた時期が重なっているのも、不思議な縁を感じますね。

安全自動車の歴史〜1918年創立、日光号のエピソードまで〜

―――この機会に、安全自動車さんの歴史も伺いたいと思います。創立は1918年、間もなく110年を迎えるとのことですが。

中谷:現在で108年になります。創業は、私の曽祖父がアメリカ・オレゴン州ポートランドに移住していたことに端を発します。曽祖父は現地で日系人会の会長も務めており、すでにアメリカで走っていた自動車を、日本に輸入・販売する事業から始まりました。

―――輸入販売から始まったのですね。

中谷:はい。そこから日本で初めての地下タンク式ガソリンスタンドを開業したり、輸入車の販売に伴って部品・用品、タイヤ、そして整備機器も手がけるようになっていきました。1927年には、クライスラー・ダッジの日本総代理店の立場を担い、この事業は昭和40年代半ばまで続きました。

1932年安全自動車が輸入販売したダッジ・ブラザーズの車両
当時「先進的な技術とエレガントなデザイン」と称されていたDLシリーズ

©安全自動車株式会社

―――なるほど。では当時、安全自動車のプレートが付いたダッジの車もあったのでしょうか。

中谷:プレートというよりも、当時は「自動車部」という部門があったという形ですね。1930年代に自動車製造事業法が制定され、国産メーカーを育成する国の方針が強まったことで、輸入車販売を取り巻く環境は大きく変わっていきました。

―――そうだったんですね。

中谷:創立20周年を記念して、当社では「日光号」という自動車を独自に製作しましたが、この事業はうまくいきませんでした。実は、この日光号の主任設計者だった中村健也氏は、私の曽祖父と意見が対立して退社し、その後トヨタ自動車に入社します。初代クラウンのチーフエンジニアを務めた人物なんです。

―――それは驚きのエピソードですね。

中谷:創立100周年の2018年当時、「トヨタをつくった技術者たち」という記録がインターネット上に公開されており(現在は見つからず、自動車技術会が公開している技術者インタビューの中に)、そこに中村氏本人のインタビューが掲載されています。曽祖父と衝突して退社した経緯とともに、日光号の事業がうまくいかなかったことにも触れられているんです。

―――日光号は、名前からすると御料車のようなイメージですね。

中谷:T型フォードに近い、当時としては流線形を取り入れた斬新なデザインでした。この事業を機に、当社は戦後、整備機器事業へと本格的に軸足を移していきます。現在の主力事業は、整備工場向けの整備機器と、自動車メーカー向けの車検設備の2本柱です。トヨタさん、ホンダさん、スズキさんなど、国内自動車メーカーの海外工場にも設備を納めており、そのアフターメンテナンスのために海外にも拠点を構えています。

海外展開とフォードとの苦い経験

―――アフターメンテナンスのために、海外に拠点を作るのですか。

中谷:はい。トヨタさん、ホンダさんやスズキさんが海外工場を建設される際、車検設備を工場ごとに変えるわけにはいかないため、弊社の機器を採用いただくケースが多くなります。結果として、アフターメンテナンスのために我々自身も海外に拠点を開設してきたという構図です。

―――日系企業以外への納入もあるのでしょうか。

中谷:歴史的には一度ありました。北米市場への最初の進出はフォード社向けで、非接触式以前の接触式アライメントテスターを50台ほど納入していただいたのですが、数年で取引が途絶えてしまいました。当時のフォードは5年サイクルで機器を更新するペースで、我々がその技術革新のスピードに追いつけなかったのが要因です。

―――すごいエピソードですね。

中谷:現在の自動車メーカー向け機器は15〜20年単位で使用されるのが一般的ですが、80年代の好景気下にあったフォードは更新サイクルが極めて速く、非接触式への移行という要望に応えられませんでした。それ以降、海外展開は基本的に日系自動車メーカーを中心に行っています。

サービスマンを社員として抱える理由

―――アメリカの自動車業界との強いパイプが感じられますね。中谷社長が考える「安全自動車らしさ」はどこにあるとお考えですか。

中谷:弊社は、父が社長を務めていた1990年代から、サービスマンを外注に頼るのではなく社員として雇用してきました。一般的にこの業界では、機械のトラブルが起きるとすぐ外注に依頼する会社が多いのですが、弊社は業界内でも社員サービスマンの比率が高い会社だと思います。営業戦略の見直しに合わせ、営業担当だけでなくサービスマンも定期的に工場を訪問する体制を整えてきました。

―――人的資産としてサービスマンを社内に抱えておくことが、良質なサービスに直結するというお考えですね。

中谷:初動対応を良くするためです。電話一本いただいた際、すぐに外注に頼っていては迅速な対応が難しい。修理そのものは外注にお願いすることもありますが、最初の一次対応を社員が担うことに意味があります。

―――そうですね。それだと信頼感がまったく違いますよね。ヨシノ自動車も、ボルボ整備では基本的にマンツーマンの対応をされてますよね。

中西:そうですね。私の感覚では、電話での初動対応だけで1〜2割の不具合は解決してしまうのではないかと思います。

アルフレッド:はい。ヒューズやリレーの交換で直るような不具合でも、予備部品がない場合は、例えば雨が降っていなければワイパーのリレーを一時的に流用するといった応急対応を電話で案内できます。ドライバーさんにとっては大きな安心材料になりますよね。

高橋(正):エアーがこないというご相談も、実はコンプレッサーの電源が落ちているだけ、というケースもよくありますね。

―――電話一本で解決するというのは、初動対応として最も効果的な形ですね。お客様の安心感にも直結します。

中西:外注さんに来ていただくとなると、当然費用も発生しますからね。

「工場らしくない工場」へ、設備が出来ること

―――木更津工場の話に移らせていただければと思います。安全自動車さんに設備を依頼することは自然な流れだったかと思いますが、社長として、そして現場のアルフレッドさんとしても、木更津工場にどのような機能を求められたのでしょうか。

中西:弊社は整備事業者でありながら、私が入社した2003年から今回の木更津工場を建てるまでの間、業界内でもほとんど設備投資をしてこなかった会社でした。リフト一つ入っていない状態で、当時の川崎工場も昭和30年代に建てられたもので、正直かなり老朽化した状態でした。

アルフレッド:私が入社した時代に建て替え工事が始まりました。

中西:既存の建物を一度取り壊し、2期に分けて3年ほどかけて現在の建物を作りました。整備事業にそれほど力を入れていなかったものの、販売事業を行う以上は最低限の整備体制が必要だという考えから、環境を整えていったのだと思います。ただ、その後排ガス規制などの影響で販売実績が3倍近くまで伸び、ボルボのディーラー事業も始まったことで、アフターサービスの責任を果たすための整備体制強化が急務となっていきました。

―――はい。

中西:私自身、整備について深い知見があったわけではないため、高橋(望)さんには「生産性向上と安全性が担保されるのであれば、まずは予算を気にせず最大限の提案をしてほしい」とお願いしました。最初に最大構成の提案をいただき、そこから調整していくという進め方です。

―――提案をすべて出してもらい、その中から取捨選択していくという流れですね。実際にはどの程度、採用されたのでしょうか。

アルフレッド:想像していた以上のものが実現し、整備工場としては非常に快適な環境になったと思います。空調はもちろん、二重窓なども導入され、川崎のメンバーからも羨ましがられるほどです。

中西:実際、竣工から半年も経たないうちに、行き来するメンバーの間で「自分も手を挙げておけばよかった」という声が上がっています。工期中には社内で木更津工場への異動希望者を募集したのですが、当初はあまり手が挙がりませんでした。しかし今年の夏、実際に猛暑の中で作業してみると、オフィスよりも涼しく快適な空調の下、車両もリフトで持ち上げられ、かがまずに作業できる環境の違いを実感したようです。

「工場らしくない工場」の作り方

―――環境ができて、その中で安全自動車さんとしてはどのように設計を進められたのでしょうか。

高橋(望):正直、最初は戸惑いました。社長から最初に伝えられたコンセプトが「工場らしくない工場を作りたい」というものだったんです。これまで数多くの工場を手がけてきましたが、このような依頼は初めてでした。デザインの専門的な経験があるわけでもなく、自分たちに何ができるかを考え抜きました。

―――なるほど。

高橋(望):従来の工場設計では、限られたスペースにいかに多くの車両を詰め込むかという、いわば昭和的な生産性の考え方が主流でしたが、今回は「安全で使いやすい工場」を基本方針としました。また、将来的に整備工場以外の用途へ転用する可能性も見据え、建物に直接固定される設備をできる限り避ける設計としています。

―――建物の構造を整備工場用にしない、ということですね。

高橋(望):具体的には、従来はエアーやオイルの配管やリールを天井から吊り下げる方式が一般的でしたが、この方式では大掛かりな架台を建築的に作り込む必要があり、将来的な用途変更の際には撤去の手間も生じます。そこで今回は、下から自立させる当社オリジナル方式を採用しました。

―――なるほど。

高橋(望):もう一つの大きな変更点が、車両間の間隔です。従来の工場では車両中心間の距離が4.5〜5.5メートル程度と非常に狭いのが一般的でしたが、今回は6メートルを確保しました。これにより車両間にゆとりが生まれ、リフトなどの支援機器を配置する余地ができたほか、緊急時に速やかに退避できるスペースも確保できています。天井に架台を吊るす必要がなくなったことで、天井もすっきりとした印象になりました。

高橋(正):自立型のリール架台を全面的に採用しているのは非常に印象的ですね。従来は建物自体の天井に設備を依存する形が一般的でしたから。

高橋(望):そうなんです。重量鉄骨を組んだ工場然とした造りは今回一切避けており、これは建築設計サイドの意向も反映された結果だと思います。撤去の必要がなく、建築構造上のコストも抑えられるという利点があります。従来のようにメカニック同士が背中合わせでぶつかるような狭さもなく、非常にゆとりのある空間になっていると思います。

―――狙いが分かりました。実際に使ってみて、アルフレッドさんはいかがですか。

アルフレッド:私は整備ではなく、架装(ファストエレファント)の担当ですが、今回はかなり要望を伝えさせていただき、エアーやコンセントも使いやすい位置に配置してもらいました。何より空間自体の広さが非常に快適です。天井に鉄骨がないことでおしゃれな印象にもなっていて、うまく調和が取れていると感じます。

高橋(望):天井クレーンだけは設置していますが、それ以外はすっきりとした構成になりました。

―――柱や鉄骨があると圧迫感を感じるものですか。

アルフレッド:ありますね。今回は吹き抜けの天井になっていることもあり、開放感があります。

2機で4機分──リフトの合理性と、トラクタヘッド仕様

―――中央のオフィス棟も同じ考え方で設計されてますよね。

高橋(望):導入したリフトは2機ですが、実質的には4機分の働きをします。ヨシノさんの場合、トラクタヘッドの整備が多いため、1機のリフトに車両を前後に配置し2台が同時に整備できる。また大型車両が来ても当然対応可能な、多機能な仕様としました。

中西:当初の設計案では、現在よりも2レーン分ほど大きな規模を想定していました。しかし建設コストが3か月ごとに異常な速度で上昇し続けたため、建物の幅を縮小せざるを得ませんでした。一方で全長を延ばす分にはコスト増加が比較的緩やかだったため、四軸車両に対応できるよう全長を確保し、トラクタヘッド2台を同時に整備できる方向に方針転換しました。結果としてレーン数は削減しましたが、実質的な影響は最小限に抑えられたと考えています。

―――そうなんですね。川崎工場から木更津工場へ、車両の移管はどの程度進んでいるのでしょうか。

中西:木更津工場はまだ認証工場としてスタートした段階で、車検業務については陸運支局への持ち込みが必要な状況です。また新人とベテランがちょうど半々程度の構成となっているため、現在は人材育成に力を入れながら、対応できる業務量を段階的に増やしている段階です。夏場など川崎工場が繁忙期を迎える際には、車両を木更津に持ち込み、川崎のメンバーが木更津に出張して作業を行うといった連携も行っています。

アルフレッド:整備機器の配置についても、当初は奥にまとめて収納していたものを、より取り出しやすい中央付近に集約する形へと変わっています。

月100万円分!? 作業効率の劇的な向上とは

―――空調が整ったことで、作業効率にも変化はありましたか。

アルフレッド:FE(架装)部門については、明らかに向上しました。メンバー構成はほとんど変わっていないにもかかわらず、体感として月あたり100万円分ほど工賃売上が増えている印象です。

―――それはすごい!

中西:工賃売上というのは実際に稼働した時間に直結する数字ですから、これは非常に大きな変化です。時間換算すると、1日8時間労働に換算して月10日分ほどの作業量が増えているような計算になります。

高橋(望):似た事例として、別の工場をリニューアルした企業では、同じ台数を同じメンバーで対応しながら、それまで発生していた残業がほぼゼロになったというケースもありました。

安全自動車がもつ「職業奉仕」という思想

―――やっぱり設備更新は大事ですね(笑)。では安全自動車さんが大切にされている企業理念や、商品・サービスに対する考え方について改めて伺えればと思います。

中谷:弊社の企業理念には、初代が掲げた「交通報国」という言葉があります。現代の言葉に置き換えれば「車に関わる仕事を通じて社会に恩返しをする」という考え方です。これは創立20周年、ちょうど第二次世界大戦に差し掛かる時期に初代が打ち出した言葉だと聞いています。

―――歴史を感じますね。

中谷:そこから受け継がれているのが「至誠」と「利他」という言葉です。私自身の解釈では、これは「職業奉仕」、すなわち倫理を守りながら仕事を通じて社会に貢献するという考え方につながります。安全自動車で働くということは、ある意味で社会への奉仕活動である、と幹部にも伝えています。売上や利益を第一に求めるのではなく、まずお客様や社会の役に立つことを優先してほしいと考えています。

―――素晴らしいですね。

中谷:もう一つ申し上げたいのは、お客様が最終的に選んでいるのは商品ではなく「人」だということです。中西社長も「安全自動車を選んだ」とおっしゃいますが、実際には担当している高橋を選んでくださっているのだと思います。だからこそ、私たちは常に人間性を磨き続けなければならないと考えています。

中西:その通りだと思います。ブランド力や商品価値ももちろん重要な要素ですが、最終的には対応する人の印象がお客様の気持ちを左右します。実は私の父が、引退後の最後の車として憧れのスポーツカー購入を検討していた際、ディーラーの対応が芳しくなく、長年の憧れが一気に冷めてしまい、購入を見送ったということがありました。ブランド力があっても、対応一つで気持ちが変わってしまうものだと痛感しました。

中谷:だからこそ、具体的な案件がまだなくても「最初に相談される存在」であり続けることが重要だと考えています。

「予算のない会社にしたい」──中期計画をあえて立てない経営

―――整備事業の将来性について伺いたいと思います。世の中の変化が加速する中で、例えばテスラのギガファクトリーのように、最終的に車両を組み立てるだけの産業構造に近づいていくと、整備事業自体が縮小していく可能性もあるかと思います。

中谷:将来を正確に予測することは非常に難しいと考えています。会社の長い歴史を振り返っても、明確な答えが先にあったわけではなく、その時々で目の前のお客様、目の前の仕事に一生懸命に取り組んできた結果として今があるというのが実感です。そのため弊社では、あえて中期計画を立てていません。数字ありきになってしまうと、仕事の本質を見失うおそれがあるからです。職業奉仕の姿勢でお客様に向き合い、その結果としていただく評価が売上や利益になる、という考え方を大切にしています。究極的には、「予算のない会社にしたい」とすら思っています。

―――おお。ヨシノ自動車も「あえて売上目標を立てない」会社づくりをしてきましたね。

中西:はい。弊社は販売会社という性質上、数字目標を完全になくすことは難しい面もあります。ただ、損益分岐点を超えることは、目標として掲げる以前に「当然の前提であるべきだ」という意識は持っておきたい。その上で「数字だけにとらわれた仕事の質にはしたくない」というのが本音です。

―――はい。

中西:今回の建物についても、金融機関に提出するための中期計画こそ作成しましたが、実際のところ5年後、10年後がどうなるかは誰にも分かりません。それでも、建物は50年単位で使うことを前提に、人が集まりコミュニティが生まれる場所にしたいと考えました。オフィス機能を減らせば、短期的な収益性はもっと高められたかもしれませんが、あの空間を作ること自体が、これからの会社としての意思表示だと思っています。

整備士にとって大事なことは「センス」と「工具」

―――最後に、整備士の視点から伺いたいのですが、整備において工具はどういった意味をもちますか。

アルフレッド:整備士は工具・設備あってこその仕事です。設備や工具によって作業スピードは大きく変わりますし、新しい機器を提供していただけること、アフターサービスがしっかりしていることは非常に助かっています。木更津工場は、その意味でも最高の環境になりました。

中谷:トラック整備の現場には、40年、50年と使い続けられている建物・設備が数多く残っています。そうした現場に新しい設備を導入すれば、確実に生産効率は向上します。乗用車に比べ、トラック整備の分野には、私たちがまだ貢献できる余地が大きいと感じています。

アルフレッド:本音を言えば「整備はセンス」と言いたいところですが、それでもやはり工具と設備によって仕事の質が大きく変わるのは事実です。すべて結果に裏打ちされるのが整備ですから。

最後に「レーザー溶接機」の凄さ

高橋(望):そういえば先日伺った際、レーザー溶接機を現場の皆さんが大変気に入っていらっしゃいましたね。

アルフレッド:そうです。正直、導入されるとは思っていませんでした(笑)。見積もりには入れていたのですが、まさか採用してもらえるとは思わなかったんです。実際に使ってみると、あれ一台であらゆる作業に対応できるほど優秀です。

高橋(望):現場の皆さまの反応が非常に良かったですね。導入すれば、生産性が明確に向上すると感じます。

アルフレッド:作業速度が上がりますし、ミスも減ります。ちょうど造船所での溶接経験を持つ社員が入社したばかりなのですが、彼に使ってもらったところ非常に高く評価していました。以前から「これは絶対に欲しい」と思っていた設備だったので、本当にありがたいです。

クルマ社会の安全のために、私たちができること。
安全自動車株式会社

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