トラック業界”鍵人”訪問記 ~共に走ってみませんか?~ 第19回

社長室長 営業推進・海外担当 松尾聡史

社長室長 営業推進・海外担当 松尾聡史

「君もウガンダで働いてみないか!? “世界のホンダ”に共鳴するヨシノ・トレーディングの狙いとは」

ヨシノ自動車は、ウガンダの首都カンパラに本拠をおくサッカーチーム、ブライト・スターズFCにスポンサードすることになりました。同クラブを運営するのはサッカー日本代表選手の本田圭佑氏です。このスポンサー契約は本田氏の理念に共鳴しつつ、ウガンダにおいて着実に成長し続けているヨシノ・トレーディングの社会貢献活動を目的にしています。しかしながらヨシノ自動車がウガンダへの輸出事業を行ってきたことは、あまり知られていません。そもそもなぜウガンダだったのか? スタートアップから5年、その成長はどのような道のりを辿ったのでしょうか? 今回はプロジェクト発足当時より、陽になり陰になりウガンダ事業を支えた海外担当の松尾聡史とともに、語り合いました。

写真・薄井一議
デザイン・大島宏之
編集・青木雄介

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なぜヨシノがウガンダに!?

____そもそもヨシノ自動車は、なぜウガンダに進出したのでしょうか?

中西:日本の中古トラックを、海外の色々な国々に輸出するビジネスは昔からあったビジネスです。僕もこのヨシノ自動車に入ってから、トラックが東南アジアも含めていろんな国々へ輸出されていることを知りました。我々は昔から輸出業者さんを介して、海外向けのトラックを販売していました。10年ほど前に、「現地ではどれぐらいの価格で売られているのだろう」という興味があり、海外旅行に行った際に、現地で調べてみたことがありました。そのとき輸送費や関税などがあったとしても、すごい利幅だなと驚いたんですよね。そんな輸出業者さんの、海外でのビジネスモデルにすごく興味がありましたし、そこに間接的に絡むよりはヨシノ自動車が直接手がけた方が、「独自のマーケットを切り開けるだろう」と考えました。とはいえ、東南アジアは自分の身の回りで、いろんな業者さんが進出しているので2番手、3番手ではビジネスとして面白くない。そこで同業他社が手をつけていなくて、市場的に広がりがあるであろう場所を消去法で探した結果が(笑)、アフリカ大陸でした。

____手つかずのところを探した結果がアフリカだったわけですね。

中西:そうです。その中で東アフリカというのは、過去にイギリスの植民地だった経緯もあり、交通事情が日本と同じなんです。右ハンドルの左側通行。乗用車の90%以上は日本車だったりするんですね。じゃあ「そこでトラックを販売しよう」と。単純に(輸出に便利な)海沿いの国を考えた時に浮かんだのがケニアでした。ただケニアは年式規制があったり、税金(関税)の問題があったり、初期投資がすごく高くなる可能性がありました。その点、その隣にあるウガンダは地図から見て国土は小さいにしても、他の周辺国に比べて規制が緩かったんですね。さらに初期投資が安く済むのが魅力でした。そこで、いま現地法人を見てくれているパキスタン人のアリという社員のネットワークを使って、ビジネスをスタートすることになりました。

ボンドの資格をとることで拡がったビジネス

© ヨシノ自動車

____10年前から構想して、ビジネスを始めたのが5年前ですね。ビジネスの規模的な成長は、この5年でどのような発展をしてきたのでしょうか。

中西:一番最初は、僕もアリも情報もスキルもありませんでしたので、本当に行き当たりばったりでビジネスを始めました。そもそも私はボンド(※)の存在も知らなかったので当時は、現地の人がオーナーになっているボンドのヤードとオフィスを間借りしました。そのボンドと呼ばれる敷地内に、中古車業者が20社ぐらいひしめいている状況から始めました。最初は乗用車を20台ぐらい持っていって、それを間借りしているヤードの中に留めて、来るお客さんに販売するという形式でしたね。
※ボンド:税関管理下で外国貨物の保管・点検・加工・製造・展示ができる保税地区、または、保税倉庫のこと。

____その当時はまだトラックは販売していなかったんですね。

中西:はい。 当時、我々はまだトラックの売れ筋がつかめてなかったんです。その意味では「絶対に売れるだろう」と考えていた乗用車だけを、販売するようになりました。例えばハイエースだったり、ランドクルーザーだったりを、ウガンダに向けて輸出するところから始めたんです。それらの乗用車は順調に売れていました。

現地ブローカーという存在

____その当時、松尾さんはその仕事を傍で見守られていたような状況だったのでしょうか。

松尾:その当時は、まだ僕はその事業に関わっていませんでした。入社さえしていなかったのですが、一緒に視察には連れて行ってもらっていました。「こんな所で売るんだ」。むしろ「これで売れるんだ」というのが正直な感想だったんです。買う人が展示場に来ると、門のところにワッとブローカーが集まってくる。「そこで何が欲しいんですか?」とブローカーがお客さんから聞き出して、「その車だったら、ここにあるよ」とお客さんをそれぞれの販売店に連れてくる。そこで初めて販売員とお客さんが話をするんです。

____なるほど。あいだにブローカーが入るんですね。

松尾:そうです。正直にいうと、買う人自身が「自分が何を買いたいのかを分かっていない状態」なんですよね。その乗用車にどれぐらいの価値があるかも分からない訳です。そのお互いの条件を合致させるのが、ブローカーの役目なんですね。

____そもそも商品とお客さんが遠い世界なんですね。

松尾:ウガンダでは車を持つというのが富の象徴ではあるわけですけれど、お客さんは実際の車のことを何も分かっていないのがほとんどでした。

____当時は現金商売をされていたのでしょうか。

中西:そうですね。 一般個人のお客さんが多数で「家族で1台、車を持ちたい」という、いうなれば彼らにとって夢の車でしたね。交通インフラが整っているわけではないですから、車を持つことによって遠くまで移動できるようになったりと、現地の感覚ではステータス的な要素もあったと思います。それがハイエースを販売するとなると、商用になります。ウガンダでは相乗りタクシーに使用するのが主流なんです。自分の移動手段のためだけに買うという、そこまでの経済的余裕がある人たちというのは本当に少ないと思います。それは現在でもそうだと思いますが。

アフリカにおける日本人的なビジネスの仕方とは!?

____ウガンダにおける庶民の交通手段の主流は何でしょうか?

中西:徒歩でしょうね。本当に貧富の差が激しいんです。庶民の月収は150ドル以下です。 ただブローカーだったり、ウガンダ以外の場所でも取引しているような人は、普通に日本の給与所得ぐらいの所得を得ていたりもしますね。

松尾:大学を卒業しても、就職それ自体をできない人がすごく多いんです。大卒でそもそも「どこで働くの?」という話になってしまう。昔でいうところのホワイトカラーの仕事がウガンダにはほとんどないんです。ちょっと話が脱線してしまうかもしれませんが、現地にビジネスできている他のアジア系外国人は、すごく受けが悪いんです。なぜかというと、手前勝手な投資先としてしか考えられていないからです。ウガンダの人にすれば物と人がやってきて、上層部はその国の人間たちで全部固められてしまう。現場で働く人だけウガンダ人にして、商売がうまくいかなければ、土地を売ってすぐ退散してしまう。そういう話はよく聞きましたね。

____逆に日本人のビジネスモデルとは、どういうものなのでしょうか。

松尾:弊社もそうなのですが、教育をします。決定的に違うのは現地のマネージャーを養成しようと、現地社員を採用します。当然、マネージャーになれば給与は保証されますよね。

____ヨシノ自動車としては、そういうホワイトカラーの雇用を生み出していきたいということですね。

中西:そうですね。現時点でもそうしています。

松尾:社長とアリさんで、ヨシノ自動車をウガンダに作りたいという話を最初に聞いた時、僕は社長が「長期的なビジネスを考えているんだな」と思って、「僕もそのビジネスをやりたいです」と手をあげました。結局、車やトラックを持って行っておしまいという話ではなくて、現地に根づいた会社を作りたいという意欲を感じたからこそ、やりがいもあると感じられました。

ネタとしか言いようのない嘘

____なるほど。根本からして現地法人を作ろうと考えていたということですね。これまで、何かご苦労された点というのはありましたか?

中西:一番困らされたのは、約束を守らない、嘘をつく。この2つにつきますね(笑)。

松尾:ほとんどネタとしか言いようがない、ありえない話がいっぱい起きるんです。例えばスタッフが遅刻をしていて、「もうすぐ着く。もうそこまで見えてるから」と言いながら、そこから2時間ぐらい遅れてきたりというのは、日常茶飯時です。 しかも全く悪びれないんですよね(笑)。僕が現地でたまたま店番をしていた時に、お客さんがアリさんを訪ねてきました。留守にしていると伝えると「明日来る予定だったけど今日来ちゃったよ」なんて言うんです。でもアリさんに確認してみると、「実は昨日来る予定だった」なんて言うんですよね(笑)。なんでそんな仕様もない嘘をつくのだろうか、と憤りもします。一番大変だったのは、分割払いでした。もともとは全て一括払いだったのですが、ヨシノ自動車も顧客拡大のために、分割払いを始めたんです。5回払いぐらいでやっていたと思うのですが、その回収が滞るのには困りましたね。

____それは困りますね。そうやって業務を拡張していく中で、何年後ぐらいに自社のヤードを構えられたのでしょうか。

中西:最初のスタートから3年ぐらいです。間借りをしていると駐車料金がかかってしまうのと、 とにかく同業他社がいるので競争になってしまう。そうなると、どうしても価格競争になってしまいますよね。同じ敷地内で同じような車のラインナップを販売している訳ですから、お客さんは値段が安い方を採ります。ブローカーさんも、どこが一番報酬が多いかだけで判断する。そうなると、こちらでコントロールできる環境下ではなくなってしまうんです。その時、年に一回のボンドの資格をとれるタイミングが重なりました。ボンドの中なら、売れて初めて、ナンバーをつけた時に税金がかかります。そういった意味では自らボンドの資格をとれば、在庫の駐車料金に税金というリスクがなくなるので、資金が楽になりますよね。 結局、事業開始 3年目でボンドの資格を取得することが出来ました。

薄利多売をとるか、自分で主導権を握るか

松尾:当時、車両を4ヶ月間、ヤードに置いておくと赤字になっていたんですよ。毎日お金がかかっていたんですね。それがちょうど4ヶ月で利益を超してしまう状況でした。そこから先はやればやるほど赤字になる仕組みだったんです。そうなると在庫を恐れて、薄利多売にならざるを得なくなりますから。

____なるほど。そのヤードを出て、初めて店舗を構えられた場所はどんなところだったのでしょうか。

中西:首都カンパラの中では幹線道路沿いで、首都の中心地から少し離れているのですが、ケニア、ウガンダ、ルワンダを結ぶ国道です。ジンジャロードというのですが、立地的には結果的に良かったですね。

____結果的にというのは?

中西:そこの場所が坂道のふもとにあって、下水の水処理が悪くて、雨が降ると水浸しになり、汚水が溢れてしまう場所だったんです。最初はアスファルトをひいて柵を立てたぐらいで見積もっていた初期投資が、それではまったく追いつかなくなってしまいました。結局、投資額はその4倍ぐらいかかってしまったんです。下水も通して、お金をかけて全部修繕しました。コンクリートで敷地全体をかさ上げして、やっと現在のしっかりとした販売店に変貌しました。

いわくつきの場所は、好立地へと変貌した

© ヨシノ自動車

松尾:その場所が、現地では“コイン”と呼ばれている、いわくつきの場所でした。坂道の下にあって、水害があるとコインが集まる場所らしいんです。本当かどうかは分からないですが。

中西:幹線道路沿いということもあり、そこに大きく看板を置いて、商品であるトラックや乗用車を陳列することで、知名度は飛躍的にアップしました。それにともない販売台数も増えていきました。一番大事なところは、ヨシノ自動車が日本でやっているビジネスモデルを、そのままウガンダに持ち込みたかった。その一つの手段だったので、日本では当たり前のようなカスタマーサービスを、ウガンダでもすることにしました。それを割と徹底して行っていくことにしたのです。お客さんが来たら「いらっしゃいませ」の挨拶をし、コーヒーやお菓子を提供する。そういう日本らしいサービスですね。そういうサービスはほぼ他の同業者はやっていないし、どこも「お金を持っているんだったら売るよ」というような態度な訳です。おもてなしではないですけれど、そういう日本では当たり前とされているサービスを徹底しました。それによってリピーターがついてきました。

松尾:僕が驚いたのは、現地スタッフに制服を支給したことでした。女性社員は制服を着て接客をはじめました。現地をみているアリさんは「日本の会社なので日本らしくするんだ」と言ってましたね。彼はパキスタン人ですが(笑)、日本らしい会社を作るという考え方は、いま社長が言った「会社のブランドを作る」ということに、すごく役立っているんじゃないかなと思うんですね。

ヨシノ自動車60周年とウガンダをつなぐ想い

____ウガンダにヨシノ自動車を作るということは、一度売ったトラックをまた買戻して販売するとか、整備も自前でするとか、ヨシノ自動車がこれまで日本でやってきた事業を、今後も継続していくということですね。

中西:そうです。もう1年前ぐらいから、そういった事業も始めていて、去年から敷地も拡大して裏の倉庫も、弊社で借り切ることにしました。正直なところ、川崎のヨシノ自動車本社より敷地面積は大きいんです。1000坪くらいですかね。そこで整備もやって、板金もやって、トラックにおいては架装もやっていくという準備が出来上がっています。

____いま現地のスタッフは何名ぐらい、いらっしゃるんでしょうか。

中西:20名ぐらいですね。

松尾:今回(2018年8月)、僕が行ってすごいなと感じたのは、 日本に比べればまだまだ設備は整っていないかもしれませんが、ウガンダでトラック販売と整備を両立させるような仕組みがもう出来上がっているということでした。手前味噌ですが、想像を越えていたので「これはすごい」と思いました。

中西:ヨシノ自動車が今年60周年を迎えました。その年にあたって、あらためてこの事業は「間違っていなかった」と実感することができました。日本で長く取引をしているお客様がいらっしゃって、自分たちのやってきたやり方や想いが間違ってなかったと感じることが出来ました。それを丸ごと、ウガンダでもやっていきたい。5年はまだ短い期間かもしれませんが、その中で実績として現地社員の定着率も良くなりました。最初、始めた頃は1週間ないし2日でクビというパターンもありました。盗みを働かれたり、色々ありましたね。現在の20名体制ができるまで、50名ぐらい採用してるはずなんです。現在、従業員の半分ぐらいはもう入社して3年経っているので、安心できているのかも知れませんが。

サッカー日本代表、本田圭佑氏のチームがウガンダに出来た!?

© ヨシノ自動車

____なるほど。もうビジネスの基盤はほぼほぼ固まってきたんですね。さて、ここで話題を変えて、サッカー日本代表の選手である本田圭佑さんが運営するウガンダのサッカークラブチーム、ブライト・スターズへのスポンサードの話に移りましょう。

中西:はい。僕がサッカーが好きとか、本田圭佑さんのファンというわけではありませんでした。そもそもケニアやタンザニアで自動車販売をしている友人はいるけれど、ウガンダに関心を持つ人はすごく少なかったんです。異業種で考えてみても、そもそも日本人がウガンダという国で仕事をしている人がいるかどうかさえ分かりません。それぐらい日本とのビジネスという意味ではマイナーな国なんです。本田さんが、そんなウガンダのサッカーチームを買ったというのは、正直、驚きでした。もともとは本田さんの動機に興味があったんですね。ニュース記事の流れで今後、スポンサー企業を募集すると告知してあったので、なおさら気にはなりました。

____それが実際にスポンサードに結びついたというのは、ブライト・スターズからの要請があったのでしょうか?

中西:現地でいま働いてくれている、弊社のスタッフである山口君が、もともと海外青年協力隊に所属していたんですね。その繋がりがきっかけになりました。

松尾:もともと彼は2年間もルワンダに住んでいた経験があり、「ウガンダに行きたい」ということで去年、採用することにしました。 僕はもともとブライト・スターズをスポンサードする事が面白いと思っていて、それを社長にも話していました。そうしたら山口君の方で「ブライト・スターズの関係者を知ってますよ」と言うので、「是非つなげて欲しい」と、私の方から頼みました。

海外青年協力隊のネットワークで繋がる

____山口さんはもうすでに、アフリカで根を張っていたんですね。

松尾:はい。「ちょっと話を聞きたいな」ぐらいの感じから始まったんです。

中西:そこから特に何か具体的に行動することはなかったのですが、今年の2月に山口君がウガンダに赴任してからすぐに「スポンサーを募集しています」という報告がありました。そこで話を聞いたらスポンサー費が、想像しているより安かったんですね。「それなら可能性があるな」と考えて具体的に話を進めさせていただきました。その際に、ホンダ・エスティーロのご担当者からブライト・スターズを買った経緯などを聞かせていただいて、スポンサードを決めました。我々も実務として日本の中古車販売をウガンダで成功させるのは職務なのですが、もう一つは企業というのは利益集団でありながら、社会にどう貢献できるかを考えていかなければいけないと思うんです。それが企業の存在理由のひとつだと思っているので、そういった意味で地元のサッカークラブチームを応援することは、一つの大きな社会貢献になるだろうと思いました。

松尾:私は、もうひとつ違う思惑がありました。私が輸出の実務に携わっているわけではないのですが、5年前に輸出の事業を始めて、ウガンダの輸出事業はヨシノ自動車本体とは別のプロジェクトとして進行していました。国内ではトラックを販売していても、輸出は乗用車ということで、壁というほどではないのですが、本社とウガンダ事業には温度感に差がありました。そこを「なんとかしなければいけないな」と思っていたのです。ウガンダ事業の売上高が毎年上がっていくにつれて、もはや本社とは別のプロジェクトというわけにもいかなくなってきましたから。現在、ウガンダの輸出事業は売上ベースでいうとヨシノ自動車のレンタカー事業や、整備事業を追い越す勢いです。

販売台数はすでに日本を抜いたウガンダ事業

© ヨシノ自動車

____それはすごいですね。

中西:前期の決算高は、もう追い越していますね。最初の3年ぐらいは少しずつだったのですが、やはりボンドの資格を取って、実店舗を持ってから売上高は変わりましたね。

____現在の売り上げはどれぐらいなのでしょうか。

中西:年間で約5億ですね。

松尾:台数ベースだけでいえば、ヨシノ自動車が日本でトラックを売る台数よりも、ウガンダで輸出販売している台数の方が多いんです。 だからこそ社内的にもウガンダの事業が重要であることを認知して欲しかった。 本田圭佑さんのチームを、ヨシノ自動車がスポンサードすると言った時に、「社員向けの効果が大きいのではないか」と予想しました。弊社にはサッカー好きの社員が多いので、社員向けのモチベーションにもなるというのは、分かっていましたから。

ヨシノ自動車が社会貢献できる割合は、ウガンダの方が大きい

____なるほど。今回のブライト・スターズへのスポンサードを一つのきっかけにしたんですね。そこはやはり同じ日本のサッカー選手である、本田圭佑氏のチームだからですよね。そういった意味で、ビジネスがつなぐウガンダと日本の共通点をどう見てらっしゃるでしょうか。

中西:それはもちろんどこの国に限らず、ヨシノ自動車は本社が川崎にあるので地元への貢献という意味では同じことをしてきました。これまでも市民清掃への参加や、近所の小学校への支援だったりを続けてきましたから。その延長線上にウガンダはあって、やっていることは川崎からウガンダに置き換わっただけだと思うんです。経済活動と社会貢献活動は基本的にペアみたいなところがありますよね。どちらが欠けても良くないなと思っていて、ボランティアだけをやっていても、単なる自己満足になってしまう。社会貢献を成立させるためには、現実的に経済活動を必要としているわけです。

____そうかも知れません。

中西:これまでウガンダで5年やった中で、松尾の言った目的であったり、社内向けのブランディングという意味もありますが、ここ最近はウガンダにおける事業の足元が固まってきた実感があります。ウガンダでもトラックは実際に、ウガンダの運送会社だったり土建会社だったりで働いてるし、農家であれば小型のキャンターにパイナップルを満載にして走っていたりするんですね。彼らの生活を支えるものを、商品として提供している。そこは結局、日本と一緒なんですよ。日本のインフラ輸送を担っているのは90%がトラック輸送な訳ですから。そこに携わっている自負を持つことが、ヨシノ自動車の存在意義に関わってくることなんです。それは5年経って、改めて同じだなと感じています。

____今回のスポンサードはヨシノ自動車がウガンダに根づき始めていることの、一つの象徴的な出来事ですよね。

中西:そうですね。ただウガンダはインフラや公共設備が未発達で、経済の格差が日本より大きかったりするので、ヨシノ自動車がウガンダで貢献できる伸び代というのは日本よりも全然大きいと考えているんです。

スポンサードすることでのウガンダの反応

____ちなみに今回のブライトスターズへのスポンサードに関連して、ウガンダのお客さんの反応とかはあったのでしょうか。

松尾:これがほとんどありません(笑)。現地ではブライト・スターズの名前は知られているのですが、それがウガンダの首都であるカンパラのチームかどうかも、知られていないかもしれません。なぜかと言うとブライト・スターズは知っていても、カンパラにスタジアムがあるかどうかも、そもそも知られていない。もちろん本田圭佑さんは知られています。ウガンダが親日ということもあるでしょう。でもブライト・スターズは本田圭佑さんが出資したチームということは知られていないんです。去年はラトミルクという、ケニアの牛乳屋さんが胸のメインスポンサーを務めていました。だから「ラトのチームね」という認識だけなんですね。

中西:カンパラには市が運営しているサッカーチームがありますし、警察がオーナーになっているチームもあります。ブライト・スターズは、ホンダ・エスティーロという日本の会社が運営会社ですので、唯一カンパラの中では民間が運営するサッカークラブなんです。ブライト・スターズのホームグラウンドは市の中心から一時間半ぐらいかかるところにあります。そういう物理的な立地も踏まえて、地元のチームだという意識が弱いのかもしれません。

松尾:ブライト・スターズはもともと現地のファミリー企業の所有チームで、本田さんの会社であるホンダ・エスティーロは7割を出資をして経営権を持っているはずです。ウガンダのナショナルチームは、あと一歩のところでロシア・ワールドカップの出場を逃しました。そう考えたらですが、日本代表とオフィシャルマッチを行えるぐらいのポテンシャルはあると思いますね(2018年8月時点でウガンダのFIFAランクは82位)。

本田圭佑氏のビジョンに共鳴するヨシノ自動車

____本田さんはまさにアフリカの選手のポテンシャルに目をつけていて、より組織的なサッカーを模索し、プロフェッショナルを育てていく意志を持たれているのだと思います。ブライト・スターズを運営する理由とは「難民の子ども達にサッカーを通して夢や希望をつかんで欲しい」という、社会貢献の理念もあります。育成という意味で、ヨシノ自動車も同じビジョンを描けるといいですね。

松尾:ウガンダでトラックを買った人に話を聞くと、みんな「仕事はたくさんある」と言います。トラックは資金的に個人で買えないので親戚中から、お金を借りまくって買う人が多い。「じゃあ仕事はどうするの?」」と訊くと、「これから仕事は見つけるよ」と答えるわけです。さらに訊くと大きいトラックは故障した時に、支払えなくなる可能性がある。そうなるとトラックを取り上げられてしまうから、小型のトラックから始めるなんてことを言う。彼らは運ぶものも決まっていないのに、まずトラックを買ってしまう。仕事はあるだろうと期待して買っているんです。何も始まっていないのに、自分が裕福になれると信じているんです。

____大らかといえば大らかですが、ちょっと危ういですね。

松尾:そういったところが未成熟なんだと思います。僕はよく分かりませんが、本田選手は彼らに対してプロサッカー選手としての最初の一歩を見せることによって、ウガンダやアフリカのサッカーを変えて行こうとしているのかも知れません。ヨシノ自動車も販売する際に「何に使うのか。何を運ぶのか」など営業が詳しくヒアリングをします。それがあやふやだと、売ることはしません。それは厳しいかもしれませんが、ビジネスという意味では教育的な価値があると思うんですよね。だからこそ、なんとなく「繋がった」という感覚はあったんですよね。

僕はウガンダで働きたい! そんな奇跡の出会い

© ヨシノ自動車

____さきほど話に出た現地社員の山口さんの話をしましょう。社長としてもウガンダに駐在させる日本人がそもそも欲しかったのですね。

中西:この2、3年で定着している現地の社員の中で、まだマネージャーと呼べる存在がいません。日本と連絡を取りながらマネージメントできるかといえば、そこまでの能力をもった人材が育っているわけではない。実際、日本との関わりを持つために言葉の問題もあります。そういった意味で、「日本人の駐在スタッフが欲しい」という気持ちはありました。実際は立ち上げた当初から、社内で募集はしていたんです。「ウガンダに行ってみないか」と。給与ベースは日本と同じで、物価は日本の1/10です。20万円の給料だとウガンダでは200万円に相当する。お手伝いさんがいる生活が送れるぞと誘ってみるのですが、難しい(笑)。そんな中で是非、「ウガンダで働きたい」という山口君との出会いがありました。

アフリカで働きたい20代は“いるところにはいる”

____今どき、山口さんのような若手の人材を探し出すのは難しくないですか?

中西:いるんですよ、ところが(笑)。去年、山口君に出会って面接して内定を出しました。渡航前にヨシノ自動車で働いてもらって、いざウガンダに赴任する時にフェイスブックに「これからウガンダに旅立ちます。またアフリカで生活できることが嬉しいです」というようなコメントを掲載していました。そうしたら、ものすごい数の「いいね」がついてるんです(笑)。コメントを読むと「私も住みたい」とか、「僕も行きたい」とか全てそういう感じなんです。仮に私がフェイスブックに「これから1年ウガンダに住みます」と書いてみたところで「いいね」はつくかもしれませんが、「私も住みたい」とかそういうコメントは多分ないはずなんです(笑)。

____(笑)

中西:つまりウガンダで働きたい人は、いるところにはいるということです。本田さんの会社であるエスティーロの現地のスタッフ 田渕さんだったり、現在20代の世代でも「ジンバブエに4年いました」とか、アフリカ生活の経験豊かな20代がいっぱいいます。それは僕の43年の人生で、あまり会うことがなかった人達でもあったわけです。

____昔のバックパッカーのように、外国から帰国できなくなった人たちというイメージでもなさそうですね。

中西:はい。僕らの時代でも海外に旅行に行く人たちはいても、実際に居住するのは別次元の話でしたからね。

松尾:山口君自身から聞いた話なんですが、やはり日本人社会というのが基本、彼にとっては馴じみにくいものだったようです。だから「海外で働きたい」と考えていた時に、東南アジアではなくて「どうしてもアフリカに行きたかった」ということらしいです。

穏やかなウガンダの国民性

____もっと日本から離れたかったということでしょうか。

松尾:そうかもしれませんし、ウガンダというのはアフリカにおいては少し内向的な国民性らしいんですね。

中西:僕もアフリカの人のイメージというのは、皆すぐダンスをするとか、明るくて開放的というような偏見を持っていました。もちろんそういう傾向はあるのですが、ケニアとかタンザニアに行くと、ウガンダという国はおとなしく感じられるんですよ。穏やかというか。

松尾:お金の回収に関してもなぜか逃げないんです。

____それは?

中西:今までウガンダで仕事をしてきて、支払が未払でトラックがどこかに消えてしまったとか、そういう事故は一件もないんですよ。未だに僕自身が不思議なのですが、少なくとも僕の中で日本国内では一回ありましたからね。 トラックがどこかに消えて、おそらくは解体されて売られてしまった、というような事件が。その点は、ウガンダに関してはゼロです。

松尾:ただ困った案件はありまして、ウガンダでも分割払いを導入しました。分割払いをしている途中で何を思ったのか、そのトラックを売ってしまった人はいました(笑)。「残りのリース料金は誰が払うの?」というところで当然、問題になるのですが、何も考えずに「このトラック、持ってるから売ってあげる」という感覚で売ってしまったのだと思います。

中西:ルールはあるし、それはまだ弊社のトラックなのですが、それを知らないがために無邪気に売ってしまう。たぶん法律を理解できていないんですね。その一方で持ち逃げや売り逃げといった、「逃げ」はしないんです。

なぜ国連のエリア基地がウガンダにあるのか

____やはりコミュニティが強いんでしょうか。横のつながりが強いというか。

松尾:その点、「ケニアは違う」とは聞きますね。他の客さんに聞くと。ケニアにはちゃんと銀行があるということもあるんですが、 現金一括じゃないと基本的に商売はしないらしいんです。隣の国なんですけどね。

中西:アフリカのあの地域で、実際に「ケニアの人たちが一番働き者だ」とは言われていますね。 だからこそ、ケニアの経済があそこまで発展しているというのも理解ができますよね。ケニアの人に比べちゃうと、ウガンダ人は本当にのんびりしていると思います。歴史的な背景で言うと、植民地の時代はあったし、独裁政治や内戦もありましたが、ダイヤや金、石油などが産出されることがなかったので、農業が産業の大部分を占めているというところに特徴があるのだと思います。経済的には貧しいかもしれませんが、近年は比較的、平和ではあったんですね。やはり周りの国で内戦起こしている国、例えば南スーダンはアフリカ有数の産油国だったりします。宗教的な対立もあるでしょう。その意味でウガンダはアフリカの中において、治安の良さや平和な雰囲気は特に高いと感じられます。南スーダンからの難民の受け入れ率も、近隣諸国の中ではウガンダが最も高い。国連の東アフリカの基地もウガンダの首都カンパラにありますからね。

とにかく失敗を多くさせて、早い成長を促す

© ヨシノ自動車

____そんなウガンダの現地赴任で1年も経たずして、山口さんはディレクターに就任しました。不安な点はなかったですか?

中西:本田圭佑さんのホンダ・エスティーロを見ても、東アフリカのマネージャーをやっている田淵さんは20代です。10年も社会人経験があるわけではないです。弊社の山口君も「できるじゃないか」と思ってるんです。僕自身もまったくの異業種から来て、4年で変わりました。周囲がサポートしてくれてる実感はありましたが、環境が変わることによって人は変われるものです。むしろそこで押しつぶされないように、彼をどうサポートしていくかを考えなければいけません。その支えは必要だとしても、「大丈夫だろう」という直感はあるんですよね。

松尾:僕もアリさんが帰ってくるということを聞いて、「一人立ちが見えたんだな」と理解しました。現地には2年、3年と長くやってくれている現地スタッフもいるし、目標目的に関して忠実ですし、非常に勤勉な人達です。僕らからしてみると、向こうで生活することが一番ハードルが高いんですよね。そこに対して「問題ない」というのが、大きなアドバンテージになるはずです。

中西:難しいですよね。私は親の会社を継いだ訳ですが、自分でも言うのもなんですが、独り立ちをするのが早かったと思ってるんです。2年で中古車の相場を把握して、自分で売り買いができるようになっていた。月で1億を売りあげる力を2年でつけました。その理由はものすごく失敗したからなんですよ。

____失敗ですか?

中西:とにかく損をしたんです。騙されたり、自分の見間違いで仕様を間違えて高く買ってしまったり、その環境を許してもらえたので、成長が早くなったのだと思っています。ウガンダでだって、この時代ならいくらでもサポートはできるわけです。失敗をいっぱいさせて、早く成長を促したい。普通の会社はそういうミスをしなくなってから、一人立ちさせるというパターンが多いかもしれません。ですが、そのミスがなくなるまで待っていたら、5年以上もかかるはずなんですよ。失敗しないように育てるというのは土台、無理な話なんです。どれだけミスをして怒られるか、そういう環境が必要だし、自分で振り返ってみても、それの連続だったという実感があります。だからこそ失敗からプロフェッショナルを作りたいという想いは、ずっとあるんです。

松尾聡史(まつお さとし)
1974年7月24日生まれ。1998年3月 関西学院大学 商学部卒業。同年4月株式会社ワイキューブ入社。2008年9月 株式会社プロフィット 入社。2009年同社取締役。2010年11月 らくだマーケティング株式会社設立 代表取締役。2015年3月株式会社ヨシノ自動車入社。現在に至る。

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