アピオ株式会社 代表取締役 河野仁 様

トラック業界”鍵人”訪問記 ~共に走ってみませんか?~ 第28回

アピオ株式会社 代表取締役 河野仁 様

アピオ株式会社 代表取締役 河野仁 様

「日常を旅する!ジムニーでつながる人と企業のライフデザイン」

今回は現在、人気沸騰中の新型ジムニーのパーツメーカー、アピオ株式会社の河野仁様にご登場いただきました。アピオ株式会社はジムニー専業で今年、創業50周年を迎えられました。ジムニーに関する専用パーツを企画開発・販売しつつ、アピオ・ジムニーと呼ばれるコンプリートカーの新車も販売しています。「人生は旅である」と語る河野氏は毎日、丹精をこめ丁寧な筆致で描く絵日記をつけ、雑誌に連載企画をもつクリエイターでもあります。それらはアピオ・ジムニーが人生にもたらす彩りや幸福感とともに、日常にも、森へ入る驚きや新鮮なインスピレーションがあることを教えてくれます。そんな「企業は人なり」を地でいく、河野社長とアピオ株式会社とはいったい、どんな会社なのでしょうか?

写真・薄井一議
デザイン・大島宏之
編集・青木雄介

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地平線に向かって走り続けたかった

____アピオ株式会社のホームページは、カスタムパーツをひとつ取り付けても感動があり、新しい世界の感触を感じられるような河野社長ご自身の哲学を感じます。ヨシノ自動車もまたファストエレファントによって、ボルボ・トラックをカスタムすることでユーザーのライフスタイルだったり、世界観だったりを「追求していきたいのではないだろうか」と考えました。

中西:そうなんですよね。実はこのタイミングでの対談というのは非常に良かったんです。来年もトラックショーでカスタムトラックを出品したいと考えているので、これから具体的に「テーマを考えて行かなきゃ」というところなんですよ。カスタム事業に関して、アピオさんは本当に大先輩だと感じていますので。

河野:世界観の話ですが、僕は幼少期の頃の体験が「すごく大きい」と思っているんです。大人になってもずっと影響されているんですよね。子どもの頃の私は、テレビでシルクロード特集やパリダカールラリーの中継を見ていて、地平線まで車で走って行くことへのロマンティックな感動に酔いしれていました。その駆け抜ける喜びみたいなものに、すごく憧れていたんです。宇宙まで行く事は現実的ではないけれど、地球を走り続ける事は現実的ですよね。オートバイにも憧れていて、ある時テレビを見ていて、(多分 NHK だったと思うのですが)インタビューアの「オートバイに乗って何が変わりましたか」という質問に対して、ある青年が「目の前の道が北海道まで通じていることを知りました」と言っていたんです。それを聞いて「すごいな。確かにそうだよな」と感動しました。そういう経験が、すごく現在とつながっていると感じています。

移動と音楽もまた風景そのもの

____分かる気がします。

河野:私は実はトラックも好きで、子供の頃、映画館でコンボイという映画を見たり、マックとかケンワースのトラックのミニカーを買ってもらったり、日本のトラック野郎シリーズも見ていました。 親には言ってなかったのですが「長距離のトラックドライバーになりたいな」と考えていた時期もありました。 一人でいることも割と好きですし、「ずっと運転していられるのもいいな」と考えていました。 トラックには寝台がついていて、そこで寝れることにも憧れていました。 よく言われる「日本のトラックドライバーは演歌を聴く、アメリカのトラックドライバーはカントリーミュージックを聴く」という話も、その通りだと思っていました。国民のマインドに根付く、何かがきっとそこにあるんだと思っていました。 本当にハーレーなんかに乗っていると、カントリーしか聴かなくなっちゃいますからね。

中西:僕もこの5年ぐらいは、かなり演歌を聴いてるんですよ。

____本当ですか!?

中西:やっぱり演歌の大御所と言われてる人たちの歌の力って凄すぎますよね。今までテレビでしか見たことがなかったけれど、生で見ると本当に素晴らしいんですよね。

河野:僕は ティム・マグロウ(アメリカのカントリー歌手)とかを聴きながらハーレーに乗るのが大好きなんですけど、聴きながら夕陽のハイウェイを走っていたりすると本当に感動しますよ。アメリカントラックを運転してみたいと今でも思っています。日本は何でもジャンル分けするところがありますよね。僕だったら「ジムニー屋はジムニーだけやっていればいい」と思われるかも知れません。 例えばある会合ではお決まりのように「交通産業の範疇の中で」と言われたりするのですが、その言葉を聞くたびに「その範疇にこだわらなくてもいいのにな」って思うんです。人が幸せになるために必要なものだったら何でもやっていくべきだと思うし、僕はジムニーを売っているんだけれどもその目的は、販売そのものではありません。

「人生は旅である」という気づき

____詳しく教えていただけますか。

河野:例えば弊社でこういう写真のパンフレットを作ったんですけれど、この写真を撮られた方は瀬尾拓慶さんという写真家です。彼は林道の写真を撮るためにジムニーを買われたんですよ。最初は歩きで行かれていて、より行動範囲を広げるためにジムニーを購入されました。ノーマルだと、本当にハードな道になると底が路面と接触したりするので、弊社でパーツを色々取り付けました。そのときに知り合ったんですが、弱冠27歳で素晴らしい写真を撮られていました。このカタログは商品をアピールするのではなく、イメージカタログの様にしました。このパンフレットで言いたいのは「ジムニーは奥深い日本の自然の風景に出会える道具ですよ」ということなんです。昔から「人生は旅だ」とよく言われますよね。

____松尾芭蕉の時代から確かに、そうですね。

河野:「人生は旅だ」というのは10年後、20年後にその旅が始まるわけではなくて、現在、この生きている瞬間が旅なんですよね。大人になるとインターネットで情報を入れて「ああ、あそこね」と知った気になって、だんだん行かなくなっちゃいます。子どもの頃って疲れていようが、なにしようがその場に行きますよね。行くと必ず何か発見がありました。そこが人間関係でも、私は大事だと感じています。中西社長も誘えば必ず乗ってくれるタイプですから(笑)。

「いかに幸せになってもらうか」を考える

中西:そこは私もすごく共感しているところなんです。河野社長は身近な人なんですが、すごく憧れているんです。僕も普通から考えれば、この44年は「自由に生きてきたな」と感じている方ですし、河野さんのように「毎日をしっかり充実して生きることがベストだな」と感じてもいます。

____河野さんを経営者としてみた時、中西社長はどう感じられますか?

中西:経営者というのは、いろんなタイプがいますよね。十人十色だし、どれが正解と言えないと思うんです。ただ一般的に経営戦略を立てて5年計画、10年計画をたてて経営していく経営者というのも素晴らしいし、それが世の中の大半を占めているようには思います。ただ僕も社長という肩書きを継いで11年が経ち、そういう具体的で数値的な目標を立ててやることが「当然だ」と思うようになっていて、そこに疑問を持っているのも事実なんです。

____なるほど。

中西:それよりも日々、ヨシノ自動車ならトラックを買ってくれた人が、そのトラックを手に入れたことによって幸せになってくれたり、アピオさんならアピオさんのカスタムジムニーを買った人が買ったことで世界を広げて幸せになってくれること、それに専念することがベストなんです。そしてそれが利益として成り立つのが理想です。けれども、それは計画通りにはいかないものなんです。だからこそ不確かな計画どおりにならないことに価値を見出して、実行していくことの素晴らしさを「改めて見出したいな」と感じているんですよね。河野さんも元々、現在の事業を自分で手がけられたわけではない。任されて現在、社長として事業を継承されています。僕自身も三代目ということで、その姿勢に勇気をもらっているんですよね。

デザイナーからオフロードラリーの世界へ

河野:僕はアピオに入社する前、シャープのデザインセンターを辞めてから、工業デザイナーとして「一人で生きて行こう」と思っていました。当時は請求書の書き方さえ知らなかったので、経済的には漠然と生きていくことしか考えていなかったし、それでも好きで持ってたランドクルーザーやホンダXR(オフロードバイク)を「どうしようかな」と考えていました。最後にランクルを売って、夢にまで見た「大陸を走るような旅をしよう」と考えて、当時、モンゴルツーリングかロシアンラリーのどちらに行くかを迷っていました。それでロシアンラリーを選択したところ、アピオの前社長(現会長の尾上 茂様)が来ていて、それで知り合うことができました。それでそのまま就職しちゃったんですよね。ただ就職はしたもののずっといるつもりはなくて、今だから言えるんだけど「3年ぐらいいたら、その間にデザイン会社とか探してそっちに行こう」と思っていました(笑)。

____その当時はまだ「デザイナーとして活躍したい」という気持ちがあったんですね。

河野:もちろんです。社長になった今でも思うのですが、子供の頃から自分は社長体質ではないと思っていたし、将来自分の名刺に代表取締役社長なんてつけるとは思ってもいなかったんです。当時はデザイナーを指向していましたから、とにかくマッキントッシュが欲しかったし、この会社にはワープロしかありませんでした。入社当時、世の中ではホームページというものが流行り始めていました。「これ、やりましょう」と社長に提案したら、「お、いいね。でもステッカーは売れるだろうけれど、サスペンションは売れないだろう」と言っていて、自分も半信半疑だったので「そうですね」なんて言ってたぐらいなんです(笑)。

お前は社長に向いている

____インターネット黎明期だったんですね。

河野:はい。ホームページを開設したら、1ヶ月もしないうちにサスペンションが売れて、月の売り上げが60万円を超えました。ちょうど1998年ぐらいですね。メーカーのホームページもないような時代です。今でこそ名刺にメールアドレスが書かれるのは当たり前ですが、当時はホームページのアドレスどころかメールアドレスもないような時代でした。それで2001年以降は楽天市場で取引を始めて、しばらくして月商1000万円に到達しそうになった頃、尾上さんは58歳ぐらいだったのですが、「俺が若いうちに誰かにこの会社を譲る」という話を始めたんです。

____確かに、社長をゆずるにはお若い年齢ですね。

河野:ただ雇われ社長だと、どうしても精神的に逃げられる場所があるので、「100%株を保有したオーナーとして会社を買い取れ」と言われました。どう考えても1億以上の会社なんだけれど、「とりあえず1億でいいから」みたいな感じでした(笑)。それで実家や親戚に相談したところ、 「男っていうのは人生に2回ぐらいチャンスがあって、これが最後かもしれないから気楽にやってみたら」と義理の父に肩を押されたんです。アピオの決算書を見ても、どこも問題はなかったし、むしろ良すぎるぐらいでした。 その時、義理のお父さんに言われたのは「戦争中ではないので、失敗しても命までとられることはない」ということです。

____なるほど。

河野:その言葉でものすごく気楽になれたんですね。それで社長になる意志を固めて、尾上さんに言ったら「決断が早いのは何よりだ」と言って喜んでくれました。「そのスピードが社長に向いてるし、そもそもお前はサラリーマンなのにアルファロメオに乗ったりハーレーに乗ったり、買い物も社長っぽい」などと言われました(笑)。だからこそ「この会社の社長に向いてる」って言ってくれたんです。

ルーツは大型トラックも手がける整備工場

____その50年続いたアピオらしさというのは、河野社長から見てどういうものなのでしょうか?

河野:前の社長が築いた時代は、ジムニーがあってこそです。ジムニーの楽しさが時代に合致したんでしょうね。元々、整備業で尾上さんは22歳ぐらいで創業しています。当時は大型トラックや他の車種も手がけていて、車検整備の認証も持っていました。 それでここからが「すごいな」と思うのですが、1988年ぐらいに「ジムニー専業で行く」と決めました。それまでの整備でお付き合いのあったお客さんの仕事を全部断って、「これからジムニーの専門店をやるから」と決めたそうです。その決断の方が、いま思うと「すごいな」と思うんです。歴史を振り返れば、うまくいっているから不自然には見えませんが、当時を知る人からすると「あー、これで会社は終わった」と思われていたらしいです(笑)。従業員もたいがいが「そんなバカなことをするなら辞めてやる」と言って会社を去ったそうです。そもそも尾上さんが海外のラリーに参戦している間なんかは、みんな働こうとしていなかったそうですから(笑)。

____創業当時は修羅場だったんですね(笑)。

河野:社長は元々、レースが好きで競技志向なので、とにかく一番が好きなんです。それを極めたくなったんでしょうね。業界でも最初はうさんがられていましたが、人との出会いもあり「面白い」というだけでオリジナルパーツを作ることができたり、商売というより趣味の仲間として「売ってくれ」というようなところから、どんどん仕事が始まっていったんだと思います。どんどん競技志向になっていって、やがてパリダカールラリーにも出場するようになって、会社としてその経験を、商品にフィードバックしていくサイクルが出来上がりました。

もっと早く、アピオのジムニーが知りたかった

____パリダカは当時の憧れですものね。

河野:お客さんは誰もダカールラリーには出たことはないんだけれど、「ダカールラリーに出場した」というだけで誰も文句を言わなくなりました(笑)。そもそも菅原義正さんや篠塚建次郎さんのような超一流のラリードライバーとのお付き合いも信用に繋がったのだと思います。かたや僕は競技志向がない訳ではないのですが、よりイメージやアイデアだったり、経営のソフト面を得意としていますので、アピオを知る方には「尾上さんのバリバリのハード面と、河野さんのソフト面との両輪が良いよね」とよく言われています。

____この時代はライフスタイルの提案なんかは特に重要ですよね。

河野:はい。スズキというメーカー全体がそうですが、特にジムニーのお客さんは20代の女性が非常に多くなっているらしいんです。ただ弊社のお客さんというのは、50代以上のご高齢の方が多くなってきている、というところが経営課題なんですよ(笑)。

____面白いですね。やはりカスタムはご高齢の方が好きということなんでしょうか?

河野:いや違います。ただ知られていないだけなんです。取材を受けても、メディアの方は皆さん「有名ですよね?」という体でいらっしゃいます。僕らもだんだんそういう気になってしまうのですが、そうではない。これは社員へ朝礼で毎回言っていることですが、「世の中のお客さんはアピオのアの字も知らないお客さんという認識で、それも99%ぐらいの確信をもって対応をしてほしい」と言っているんです。大げさでも何でもなくて実際、そうなんですよね。だからこそ、いつでも1から起業したのと同じ心もちで、やっていかなければいけない。初めてアピオのコンプリートカー(基本のカスタムをパッケージにした車)を手にしたお客さんなんかは、「こんな車があるなら、もっと早く知っていれば良かった」というお客さんがすごく多いんですよね。

数は本質を見えなくさせる

____興味深いですね。

河野:インターネットや SNS と言っても、みんな見ているジャンルが違っていて、かつ細分化しているので、分かりやすい影響力は信用できない。たとえばPV 数やフォロワー数といった数は僕からしたら、うさんくさいんです。だったら自分たちが楽しいことをやって、それが口コミや仲間として増えていった方がいいですよね。例えばそもそもフォロワー数をお金で買ったり、数そのものに価値を置いて考える人は「何のために生きているのか分からなくなってる人だ」と思うんですよね。 根本的に「何の目的を持って生きているのか」と自分に問いかけていれば、そんなことは絶対に思わないと思うんです。

中西:おっしゃる通り、数値は本質を見せなくさせますよね。僕も SNS には興味があるのですが、いいねの数やフォロワー数は10より100ついた方が良いには決まってるんですけれど、それ自体が目的になりがちですよね。 たまたまなんですが、現在、弊社で管理者研修をやっています。特に弊社は販売が主体なので、営業部隊があるんですよね。その管理者の中には「1も2もなく数字」という管理者もいて、僕はそれをセーブしているんです。 僕は社長になって10年以上が経ちますが毎年、翌年の売上目標を下げているんですよ。15%から20%ぐらい。

河野:それはわざと下げるのですか?

豊かな人生を送るためのお手伝い

中西:はい。そんなに「売り上げを上げないで」と言っています。弊社は営業が主体なので、月初の1日から31日まで全て数字を追いかけてるような仕事、それ自体が「良くない」と僕は思っています。営業部内もそうだし、他の部署もそうで、わかりやすく「営業って何をやってるの?」という、その成果を示すために一応、売上目標を決めているだけです。それを弊社は父親の時代からやっているから、引き継いでしまっているけれども、僕はこの10年間、「個人の売上目標を廃止したい」とずっと思っているんです。

____興味深いですね。

中西:数字はあくまで一つの目安として認識してもらいたい。それを至上主義にはして欲しくないんです。特に営業に言っているのですが、トラックを使うのは運送会社だったり建設会社だったりするのだから、トラックとは片方で設備でもあり、経営の核となる一つのパーツでもあるわけです。弊社としては、あくまでもトラックを商材にお客さんの経営課題を解決できるコンサルタントでありたい。その解決手段として弊社は、このトラックというものを売り買い、直す、レンタルする。それが結果、売上になるという流れが、一番理想だと考えているんです。

河野:分かります。その「お手伝いをする」という感覚がすごく重要なんだと思います。会社では事あるごとに「アピオ・ジムニーを通じて豊かな人生を彩るためのお手伝いをしましょう」と社員に伝えています。「そのためのチーム・アピオですよ」という感覚なんです。元々はラリーのチームのことをチーム・アピオと言っていたのですが、社員さんもそうだし関係会社もそうだし、みんながチーム・アピオとして、レーシングチームではなく豊かな人生を送るためのチームになろうとしています。

「そんな質問をする人はいない」と言われた質問

____そこに共通の理念があるのが素晴らしいですね。

河野:ある講演に行った時に「そもそも我々はなぜ前年比をあげなければいけないんだろうか?」という質問が上がっていました。日本が昔のように二桁成長をしていた時代なら、国全体が上がっているからその企業の業績にかかわらず二桁成長していたわけですよね。当時は業界に関わらずどの業界も上がっていったから、その時代は計画通りに行くんだけれど、今の時代は上がったり下がったりするし、リーマンショック級の金融危機が来ればドンと下がる。そんな時に10%成長もないわけです。ここらで少し加速もブレーキも調整をしながら行かなければいけないのに、「そんな数字の調整に時間を使って何になるんですか?」という質問が出ました。その講演者はコンサルタントだったのですが、「そんな質問をする人はいない」と言って困っていましたね(笑)。

____経営はときにブレーキをかけなければいけない。その考え方はすごく重要だと思いますね。

中西:そうですね。数字の成長だけで言えばとっくに止まっていると言うか、今後は頭打ちと決まっているわけです。トヨタのような全世界で販売を展開してるような会社でいえば、「どこで販売するのか」となれば、もう宇宙人に販売するしかないぐらいなわけです(笑)。販売台数が稼げないから利益の成長を見込もうとするのですが、原価を下げるしかなくなってるわけで、そのツケが下請けに回る。そして運賃も下げられる。それが現実ですよね。数字だけの成長性を成長と捉えてしまえば、そういうことにならざるを得ないわけです。

まかり通る、誰も幸せにしないこと

____確かにそれは誰も幸せにしませんね。

河野:そうそう。誰も幸せにしないんです。僕はたまに雑誌業界の人とも話をするんですけど、昔決めたものは今でもずっと続けていて「継続は力なり」で良い面もあるんだけれど、どこかで誰かが考え直してあげる必要がありますよね。例えばその雑誌は月刊誌である必要が本当にあるのか。 月刊誌であるがゆえに月刊で発行できない、休刊せざるを得ないということであるならば、発行サイクルを変えるとか。または同じ内容と時間をかけて、違う雑誌を創刊するでもいいでしょうし、毎月創刊号の雑誌だってあってもいいでしょう。新しい挑戦をした方が新鮮な発想が生まれるだろうし、専門誌は特に良くも悪くもこだわり続けますよね。

____おっしゃる通りです。

河野:それがわれわれジムニーメーカーの立場からすると、発行時期が「もう少し後なら色々なパーツが各社から出るし コンテンツは充実するよ」というような話をしても、「ライバル誌の発売日のタイミングがあるから、それより早く情報が欲しい」というような理由でリクエストが来たりします。それって雑誌を出す発売時期の事だけなんで、誰も幸せになりませんよね。 編集者も忙しいし、お客さんもそんな情報じゃ買わないし、企業も宣伝にならないから「お金は出さない」という話になっちゃいます。そういう「あそこには敵がいないよ」という案件に平気で突撃するようなことが、いまだに日本の会社ってありますよね。「それが計画だから上陸せよ」みたいな、戦時中の軍部のような不条理がまかり通ってる。

知ってもらえれば必ず売れる

____かつて雑誌の編集者だった私にも耳の痛い話です。情報の軸足が、社会全体でインターネットに向かっている時代で、それは時代錯誤に感じられますよね。さて話題を変えて、この20年もの間、ジムニーは新型が発売されないできました。その間にアピオさんが、どのように事業を継続してきたのか、すごく興味深いのですが。

河野:特にこの10年、コンプリートモデルが売れ続けていたのには、理由があります。結局のところ、スズキはジムニーを宣伝しない、お客さんが販売店に来てもジムニーは売っていない、試乗車もない中でアピオに来れば試乗もできるし、新車のコンピレーションモデルも買える。そんな20年も前の車が、年間100台以上も売れているというのが他のディーラーにとっては脅威だったようで「何で売れるんですか?」とよく聞かれました。モデル末期の最後の方は普通のディーラーでは年間2台とかが関の山だったんです。じゃあ「なぜ売れるのか」といえば、ただそれまで知られていなかっただけなんです。試乗してみれば「あ、これでいいや」と思えてくれるお客さんが沢山いらっしゃった。極端な話、今でも先代のJB23モデルと併売できれば一番良かったんですが、法規制があって先代モデルが終了してモデルチェンジとなりました。

____20年前の車だとしても、アピオさんのジムニーの良さが際立っていたということでしょう。

河野:ダイハツの車もそうですが、軽の商用車みたいな車はぜんぶ四角いですよね。今回の新型ジムニーもすごく四角くなって、 最近若い人たちに注目されている理由のひとつは「四角い形が可愛い」、そして「新しい」と捉えてもらえるからなんですね。丸いのもこれはこれでかわいいんですが、結局、機能美をうたうと車は四角くなるんだと思うんです。ミリタリーにしてもカメラにしても丸くてかわいい形だったら「絶対売れない」と思うんですよね。軍用車もそうだけど、トラックもそうですよね。僕はこの四角いデザインがすごく好きなんですよね。

世界基準のモノ作りとは何か

____社長の本棚にはスティーブ・ジョブズを特集した雑誌もありますね。

河野:はい。デザインの話もそうだけど、私はスティーブ・ジョブズが大好きなんです。ウィンドウズに触るぐらいならコンピューターは使わないと考えたほどですね(笑)。彼の言葉で感激した言葉があって、「デザインは性能をより良くするのに、ほとんどの人はデザインに注意を払わない。僕にはそれが理解できない」という言葉です。まさに機能美を言い当てた言葉だと思いますね。

____その意味では中西社長も、ボルボ・トラックのデザインはお気に入りですよね。

中西:僕もこの16年間、トラック業界にいてボルボの商品づくりは明らかに国産とは違っていることを経験してきたので、 それが分かるところはあります。結果的にその思想を理解することで、好きになっていましたね。

河野:僕はボルボ・トラックをよく知らないのですが、以前、スカニアで働いていた人とちょっと話をした時に世界中で販売しているトラックメーカーの凄さというのを実感したんですよね。販売している世界の大きさに合わせて、補修部品とか PCD の大きさとかホイールの位置とかものすごくよく考えられているんです。これが合わなければプランB もしくはプランCやDで行く、という代替プランがしっかり決められていると聞きました。世界中、どこで故障しても対応できる造りになっている。

ジムニーの弱点とモノ作りの誇り

____用意周到に戦略が練られているのですね。

河野:はい。ジムニーもそうですが、街中はともかく世界の辺境の地まで出かけて行って、まずちゃんと走って帰ってこれることが重要です。それはサバイバルなんですよね。砂漠でシャフトが折れたとか、部品が手に入らないでは本当に死んでしまいます。その辺がヨーロッパの車というのは歴史があるし、移動も長いので「よく分かっているな」と感じるんですよね。ジムニーの弱点を先に話すと、前にタクラマカン砂漠に行った時に、どうやっても航続距離が短いんですよ。国内を走るためにできているからタンクも小さいし、300キロ走るのがやっとなんです。砂漠に行くとアクセルを余計に踏むから燃料も多く消費しちゃうんですね。その時に BMW のオフロードバイク、GSアドベンチャーが一緒に走っていました。満タンで600キロ走るんです。しかも一緒にシルクロードに行った時に高速を走って、インターから降りたとたんにアスファルトがなくなって砂煙を上げるような荒れた道に変わります。ジムニーも頑張って走るんですが、アドベンチャーは降りたとたん、そこがオフロードだとしても真価を発揮する。その時、同乗していたラリードライバーの方が、 「BMW の凄さってこういうことなんですよね」と言ってました。日本にいたら分からないし、実際に使わないと分からないことなんだけれど、世界的メーカーはあらゆる場面を想定してるんだな、と感動しましたね。

____世界的メーカーほど、ラリーやラリーのフィードバックを重要視していますよね。

河野:はい。ただジムニーにも世界標準という意味で、すごい点があるんです。 それは一番最初のSJ 10型の頃からホイールの PCD(ピッチサークルダイアメーターの略:ホイールナットが結ぶ円の直径幅)がずっと一緒なんです。だからアルミに変えても、JA11型でも使えるしJB23型でも使える。その規格は一気通貫しているんですよね。日本のメーカーはコロコロとこの PCD を変えるので、規格に対する命がけ感が足りないですよね(笑)。 とにかく走れる、使えるということが世界基準では大事になってくるので、ジムニーのそういうところはすごく誇らしく感じられるんです。

日常を旅するなら、“ひとり女子会”をすべき

____PCDの規格ひとつをとっても、思想があるんですね。その思想はアピオさんが50年の社歴を経て、血となり肉となり骨の髄までしみ込んでいるはずですね。

河野:ですからジムニーを売るにあたって車のパーツを売るだけではなくて、オリジナルのカバンなんかも「旅する日常のジムニーライフ」として楽しんでもらうために作っています。普通の自動車屋さんのカバンって、自動車を売らんがためにカバンを作りますよね。試乗してアンケート答えてもらったら30名様にプレゼントとか(笑)。このカバンは弊社のマフラーやサスペンションのように、原価計算をして販売することでちゃんと利益を生むように作っています。企業は利益を出さないことをやっても意味がありません。ですから、ちゃんとした商品として作ってるし、大切に作っているから大切に売ってますし、真剣に考えてモデルチェンジもしています。私自身が「毎日が旅」だと考えているので、毎日、このバッグを持っています。私自身、日常を旅しているから毎日を、絵日記でつけてもいます。

____素晴らしいですね! この絵日記は、河野さんが毎日を、現在を大切に生きていることの証明ですよね。

河野:これは人に聞いた話なのですが、現在を生きるためにすることで良いのは「ひとり女子会」をすると良いらしいんです(笑)。女子会をすると「あー可愛い」とか「インスタ映えする」とか「タピオカ食感すごい」とか、いちいち感動できますよね(笑)。感動は感謝につながり、 「感謝することが人生を旅すること」に繋がるんですよね。

発見が新しい価値を見出す

____中西社長はその点、どうでしょうか?日常を旅をしていますか?

中西:(笑)。僕も感謝はしてますよ。なかなか年齢がいっちゃうと全てが当たり前に感じられてきますよね。例えば食事ひとつとってもそうです。僕の仕事柄、会食が多いのですが、本当はそれはすごく美味しいもののはずなのに、当たり前になってしまっていて食べ物に関する会話がまるでなかったりするのは、すごく残念だったりします。仕事や趣味の話をそこでするのは良いんですが、その店で何が美味しかったか、どんな雰囲気が良かったのか、そういうことをやっぱり「当たり前に捉えてはいけないな」と感じますね。

____正にその通りですね。さてアピオさんにおいては「企業は人なり」で、社長の河野さんのもつエネルギーや哲学が非常に会社経営にも重要だということが分かりました。そこで最後にお伺いしたいのですが、それぞれの考える企業の将来像を教えてもらえないでしょうか。

河野:僕はそういう質問がすごく苦手なのですが(笑)、それに近いことをお答えしますね。僕はアルファロメオが好きで乗っているのですが、尾上さんに「じゃあ社長になったら毎日、ジムニー乗りますよ」と言ったら「ダメだ」と言われたんですね。「毎日、乗っていれば感覚が必ず麻痺してしまうので、違う車に乗ってたまにジムニーに乗るのがいいんだ」と言っていたんですね。それで思い当たるエピソードがあって、会長が富士スピードウェイをポルシェで走った時に、300 km 近いスピードからブレーキングした時に「気持ちいい~!」と感じたそうです。その切れ味のある制動力は、気持ち良さとして格別だったらしいんですね。それで「何とかジムニーにもそんなブレーキングの楽しさや研ぎ澄まされた感覚を伝えることができないか」と考えて、ブレーキシステムやパッドの開発に生かされているんです。その新しい感動や経験によって、新商品にも繋がっていくんです。

企業は人なり。冒険する企業へ

____なるほど。インスピレーションにも繋がるんですね。

河野:はい。ちなみに弊社がお願いしている税理士さんは渋谷にあるのですが、渋谷税務署管内というのは元々は薬屋さんだったり、商店から始まっている会社が多いらしいのです。でも現在では「この会社は何ですか」と言われてもよく分からない、いろんなことをやっている会社さんが多くなっているらしい。これからの時代、「私は何屋さんです」というのが言えない時代が来るんじゃないか。そう思うんですよね。弊社もジムニーが中心になることに変わりはないのですが「日常を旅する、人生を豊かにする」というテーマであれば、ジムニーがどうあるにせよ、「まだまだいけるんじゃないかな」と思っています。世の中の車が電動化だったり、極端な話、どれも一緒でつまんなくなればなるほど、ジムニーは際立って味わい深いものになるはずなのです。

____ありがとうございます。ヨシノ自動車としてはファストエレファントもまた、そういうライフスタイルに進出できる可能性を持ったブランドとなりましたね。

中西:ファストエレファントというのは弊社がこれまで60年やってきた歴史の中で、相乗効果で作ることができた初めてのブランドです。僕もそうだし、店長のアルフレッドもそうですけど二人で悶々としていても生まれ得ないものでした。そこで昨年のジャパントラックショーのPV制作やガオ西川さんのグラフィックといった刺激の中で、どんどん形作られていきました。その意味では「企業は人なり」を具体的にした「ひとつの例かな」と思っています。先ほど話しました、管理職セミナーでもそうなんですが、決して自分だけの経験値だけで物事を考えても出てくる答えというのは、そんなに「大したことはない」と思っています。僕も会社の経営者として11年間やってきて、会社の業績は悪くないけれど、自分が個人的に優れてるわけではなくて、優れた人達との繋がりがあったからこそ、結果的に会社があったのかなと考えているんです。

____なるほど。

中西:その意味でも、本当に河野さんは「企業は人なり」を地で生きている方なので、ヨシノ自動車もこれからもっと人とつながることで、新しい事業が生みだしてみたいですね。そうしたら結果、河野さんがおっしゃったみたいに「何屋になったのかよく分からない」企業になっているかもしれません。トラックは人間が生きていく以上、必要不可欠なものなので、半永久的にトラックという商材はなくならない、とは思っています。そう感じたのが11年前なので、私は会社を引き受けることを決心しました。基本的にはトラックというものに関わる仕事を永久的にするんでしょうけれど、それ以外は何屋さんになってるのか分からないことが色々起きていれば面白いですね。その意味では10年後が見えない会社、「どうなってるかわからない会社にしたいな」と感じています。それが目標です。

河野 仁 様
1966年倉敷市生まれ。シャープ株式会社総合デザイン本部勤務を経て、オノウエ自動車(現アピオ株式会社)へデザイナーとして入社。2005年より同社代表取締役社長に就任。

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