トラック業界”鍵人”訪問記 ~共に走ってみませんか?~ 第67回
株式会社ヨシノ自動車 中西昭博会長、中西俊介社長
株式会社ヨシノ自動車 中西昭博会長、中西俊介社長
トラック業界”鍵人”訪問記 ~共に走ってみませんか?~ 第67回
株式会社ヨシノ自動車 中西昭博会長、中西俊介社長
株式会社ヨシノ自動車 中西昭博会長、中西俊介社長
「“トラックランド”を木更津に!アイコンとして未来を支える新工場の構想とは?」
いよいよヨシノ自動車の新工場である木更津工場の全貌が見えてきました。川崎の本社工場からアクアラインを使用してほぼ30分。約6,800平方メートルの敷地に整備工場が建設されます。着工は2023年、操業開始は2023年末を予定しています。そんな木更津新工場は中西社長いわく“トラックランド”のような場所。誰もが気軽に足を運べるゲストエリアを備えた「工場らしくない工場になる」とのこと。今回は中西昭博会長をお招きし、これまでのヨシノ自動車の歴史と新工場の役割や機能を語りつつ、今後の日本の物流環境をみすえたアイコンとなる新工場の意味を探っていきます。今回の撮影は解体予定の建物がそのままの、木更津の新工場予定地で行いました。この場に創られるヨシノ自動車のポテンシャルを凝縮し、将来の可能性を拡げる“新しい場”について語り合いました。
編集・青木雄介
WEB・genre inc.
____まず最初に新工場を作ろうと思ったきっかけを教えてください。
中西社長: そもそも私が入社する前からボルボのディーラーを始めていたのですが、当時は看板を掲げているぐらいで整備工場はほとんど国産を扱っていることが多かったんです。それがこの10年ぐらいでボルボ・トラックスの販売状況が上がっていきました。ディーラーでやっている以上、アフターサービスは我々が全部しなければいけない。僕が入社した当時はまだ国産が9割、ボルボは1割ぐらいの割合でした。その割合は、現在ではほとんど逆転していますね。特にこの5、6年で工場がキャパオーバーになりつつあって、お客さんに入庫をお断りしなければいけないケースも出てきました。
____なるほど。
中西社長:重要度や優先順位を決めて他の協力会社にお願いする。その状況はずっと続いていたんですね。ですから「工場を大きくしなければならない」というテーマはずっとあったものの、川崎の京浜地区だと土地がない。これまで検討してきた土地は10件ぐらいあるんです。ただ金額や立地の問題が折り合いませんでした。このタイミングに限らず前から新工場が欲しかったのは、欲しかったんですよね。
____この5、6年は継続的に新工場の建設の構想はあっても、それが叶わなかったということですね。その新工場の機能的な部分でいうとどんな役割を果たすのでしょうか。
中西社長:いま考えているのは 現在キャパオーバーしている取りこぼし分を新工場で改善していくことと、トラック架装です。この5年ぐらい、我々はファストエレファントを特に力を入れてやってきました。認知度も上がってきているので需要は高いし、これからもさらに高くなってくると思われるので、内製化を押しすすめたい。現在は協力会社の存在なくしてはできなくなってしまっているので、それを少しでも内製化していきたいですね。それと今回、具体的に土地が決まって思いついたのですが、ヨシノ自動車という60数年やってきた会社がさらに50年、60年先の未来に投資するために、新工場をアイコンとして位置づけたいと考えているんです。
____アイコンの位置づけとはどういったものでしょうか。
中西社長: 木更津の新工場を第一のターニングポイントとして、もしくはリスタートの場所として考えるのも良いかと思っているんです。
____現地でもスタッフを雇い入れたり、ということでしょうか。
中西社長:それもあるし、僕が会社に入って19年が経ちました。社長になってから14年の間に、ここまでの大きな設備投資は一度もしたことがないんです。
____なるほど。
中西社長:土地を取得したり、WEBの販売ページなどシステム関連の投資やソフトウェアへの投資といった案件は億単位で行なっています。でもハードウェアに対しての投資というのは、ほとんどしてこなかった。本社家屋もちょうど入社始めで建設したので、私が建設を指揮したものではないんです。
____ 社長にとって初めての大型設備投資なんですね。
中西社長:これまで私がしてきたことは、割と短期間で回収できるものに投資をしてきました。自分の見通しとしても、短期間のプロジェクトばかりです。新工場に関しては10年、20年というスタンスで考えなければいけないので、大きな責任もあるしプレッシャーもあります。とはいえ、どうせなら実務や売上を大きく伸ばすという目的ももちろんだけれど、それ以上に何か新しいシンボリックなことをしてみたいと思うわけです。
____社長も木更津に居を構えるとかでしょうか。
中西社長:それも悪くないなと思っています(笑)。
____面白いですね。会長にお聞きしたいのですが、いま中西社長から「自分の代で初めての大型設備投資である」というお話をいただきましたが、この京浜工業地帯から軸足を移すという意味も含めて、ヨシノ自動車という会社にとって新工場はどんな意味を持つのでしょうか。
中西会長:ヨシノ自動車は先代から60年以上にわたって引き継いできた会社です。最初は地元のユーザーさんに中古トラックを仕入れて、きちっと整備をしてユーザーに販売する会社として続いてきました。そのためには整備工場が必要なので自社工場として横浜の方にひとつ、港北区樽町の方にもひとつ、工場を持っていました。当時は第1回目の東京オリンピックが開催されて、モータリゼーションの活気に満ちていました。
____はい。
中西会長:車は足りなくてどんどん増えていた時代ですから、ユーザー販売が主体でした。時間とともにそれまで中古車を買ってくれていたお客さんが、新車を購入してくれるお客さんへと切り替わっていきました。それで我々は新車の販売も始めました。新車の販売に関しては地元のメーカー系販売店がありますから、サブディーラーとしての位置づけです。サブディーラーというのは正規販売店の手が足りないので我々の手も借りざるを得ないから、補完的に認められたディーラーです。やがてその時代も終わって、ボルボの販売権利を得ることで正規販売ディーラーとしての位置づけが確立するわけです。そうなると自社としてフォローアップしていかなければいけないところが出てくるので、そういう面からすると先程お話があったように、ヨシノ自動車はボルボの商品が売れるにつれてユーザーさんの満足のいく整備ができなくなりつつありました。
____なるほど。
中西会長:なおかつ社長の施策がお客さんに浸透してきて、神奈川以外のお客さんにもボルボにおけるヨシノブランドのような位置づけで評価を受けつつあります。そういったお客さんにも満足いただけるような設備という意味では、現在の本社工場は「もう限界だ」と私も思います。理想を言ってしまえば、この本社工場の近くに2000坪ぐらいの土地があればいいんですが、なかなかそうはいかないので物件を探していました。
____確かに、川崎周辺は高そうですね。
中西会長:そうですね。とはいえ、最終的に千葉木更津に落ち着いたといっても建物だけで10億ぐらいします。この回収を「どうしようか」と算盤をはじくと難しいところもあるんです(笑)。これからシンボルにもしていかなければいけない。なにより第一に、お客さんの満足度を上げて行かなければいけません。サービスもそうですが、「わざわざ木更津に来てもらえる設備が必要だな」と私は思います。それは整備の設備的にもそうだし、「一度、あそこに行ってみたい」と思ってもらえるような場所という意味でもそうです。それは必要だと思っています。そもそも川崎本社のビルを建て替えた理由も、「新人を採用するためにしかるべき器が必要だ」と感じたからです。よくある工場だったり、中古車販売店の建物だったりでは人材が集まってこないんですよね。
____なるほど。
中西会長:結局、そういった課題を社長が入社してからというもの、様々な施策とともに乗り切れている。ハード面にかけるリスクは一番大きいのですが、そこにチャレンジするというのは「ひとりの経営者として良いのかな」と思うのと、自動車業界やトラック業界が「これから伸びますか?」と言った時に 本当に伸びるかは疑わしいわけです。そこであらためて挑戦する意義は大きいと思うし、自分たちのお金儲けだけというわけではなく、自分の方法論でそこに挑戦することが大事だと私は思います。我々の世代の目から見ても、「こういう人が自動車業界やトラック業界に一人いてもいいのではないか」と思うんですよね。
____ありがとうございます。以前お話を伺わせて頂いた時に、「港北区樽町にあった工場を売らないでいま持っておけばよかった」なんてお話もありました。あそこは中古トラックの整備工場だったんでしょうか。
中西会長:そうです。なにせ昔のトラックはよく故障したんです。ユーザーさんに販売したはいいけど、後で故障が出てきて、フレーム修理のような大がかりな修理を無償で行うこともざらにありました。一般の整備工場では、他から買ってきたトラックの修理は有償で修理代を請求できますが、弊社はクレーム処理の一環としてずっと修理を無償で行わなければならないジレンマがありました。非常に採算性が悪かったんですね。中古車から新車への流れに切り替わることで、ある程度、改善することはできたのですがとにかく効率が悪かったんです。
____扱う車体の信頼性が変わってきたから改善されていったのですね。
中西会長:さらに当時、私が社長の立場で経営を見てみると借金が多すぎました。それで、当時あった7拠点を3拠点まで縮小しました。縮小は整備の利益率の改善のためでもありました。それともう一つはビジネスモデルが変わったということ。神奈川県外で買ってきた車を神奈川県内で売る。もしくは神奈川県内で買った車を神奈川県外で販売する。そんな風にビジネスモデルが切り替わっていったんですね。要するに石原都知事時代のNOX問題を反映して、業界全体が新しい車にしなければいけなくなった。切り替わったタイミングはまさにあの時でした。そうなると工場の必要性がどんどん薄れていってしまいました。
____なるほど。以前、取材させていただいた鹿島旭自動車工業さんは、もともと有明にあった工場を鹿島に移転させて大規模化し、操業されました。もしかしたらヨシノ自動車も富士の裾野とかに大きな土地を買って工場を移転させて、操業したかもしれないという可能性はなかったのでしょうか。
中西会長:それがないのは、我々は整備を中心にしている会社ではなかったからなんです。販売を軸にしている会社だからなんです。
____そこに違いがあるんですね。
中西会長:その軸の違いで考え方が変わってくるので、今の時代で言えばユーザーさんに販売するために整備の必要性があるから、「横浜の工場が今あればもっと良いサービスを提供できるのに」という思いはあります。
____わかりました。ヨシノ自動車はその時代時代に必要な設備投資を行ってきたと同時に、必要であれば手離すこともしてきた。求められている工場の整備内容も役割も、今と昔では大きく違ってきているということですね。
中西社長:そうですね。創業当時からのヨシノ自動車の整備の位置づけは、市販のサポート的な要素だったので、アフターサービスが目的の第一になることはなかったわけです。弊社の現場も当然、その位置付けはあるんだけれど、その差がどんどんなくなってきている。むしろ販売にとってはサービスが必要、サービスにとって販売が必要というそれぞれのポジションが対等になってきているんです。販売と整備では事業モデルが全く違うので売上比率で言えば、販売の方が大きくなってしまいはします。でも会社を構成する必要な事業部という意味ではほぼ対等と言えるでしょう。整備は整備+カスタムというように裾野は広いので、今後の事業の可能性を考えても、その価値は非常に高いと言えるはずなんです。そこが今と昔の違いかもしれませんね。
____なるほど。他に違いがある点はどんなことがありますか。
中西社長:新工場で新規に挑戦していく事業として、ボディメーカーさんの指定工場になれるように頑張りたいですね。我々は販売を主軸にした会社ですが、お客様の信頼だったり、サービスの満足度をもっと上げたいんです。とはいえ、すべてのメーカーの指定工場になりたいのではなくて、弊社で販売実績の高いクレーンや冷凍車などを中心にアフターサービスを拡充させたいです。
____たしかに必要ですね。
中西社長:新工場を、「木更津に来ればトラックのすべての問題を解決できるアイコンにしたい」という意味もあります。そのための実務的な体制とカードを作っていきたい。プレス機やシャーリング、レーザー加工機も必要でしょう。CAD で図面も描ける。そういう設備ももちろん欲しいです。ただその全てを内製化したいわけではない。あくまでもそういう設備を持つことで トラックのすべてを解決できるポテンシャルのある場所にしたいんです。我々が持っている資源として、営業力とデザイン力があります。それにこれまで足りなかった道具を揃えるようなイメージです。それによって必然的に、「我々のマーケット規模も広げることができるのではないか」と思っているんですよね。
____なるほど。ポテンシャルを上げた分だけマーケットも拡がると。
中西社長:神奈川と東京だけでやっているのであればキャパは決まっているんですが、北海道や東北といった全国規模で「ファストエレファントでやってほしい」という依頼が後を絶ちません。弊社でボルボの新車も買えたらいいんでしょうけど、それはちょっと難しいですからね。
____道具を入れるといえば、例えば新しい機械を入れるにしろ使える人材も必要ですよね。
中西社長:それは機械ありきだと思っています。機械があれば人も集められる。最近つくづく思うんですが、採用というのは少子化に伴ってこれからどんどん難しくなってくるはずです。そんな売り手市場の中で、ヨシノ自動車を選んでもらうのは待遇だったり設備だったりだと思うので、設備投資の重要性はさらに増すと考えています。今後、安定的に人材を確保する意味でも必要なんですよね。設備は投資なんです。
____新工場というのは「未来への投資」という意味でも大きいのが分かります。さらに言えばヨシノ自動車の地元である京浜工業地帯を離れるわけです。木更津は木更津で独自のマーケットがあるように思えます。
中西社長:あまり木更津という土地にこだわりはないです。あくまでも拠点は川崎ベースなので、そこから離れた場所には欲しくない。ただ採算ベースで考えると圏央地区よりさらに西という判断にはなるんです。例えば小田原は候補地でした。ただ小田原になってしまうと距離的に離れすぎていて躊躇してしまうんですよね。その点でいうと木更津はアクアラインで、30分で到着できますから小田原の半分です。土地の取得価格でいえば小田原と変わりませんし。
中西会長:ボルボのトラクタヘッドの主要なお客さんは東京ですからね。その意味で言えば、木更津の方が近いでしょう。
中西社長: その点でもメリットがあります。それとトラックマーケット全体で考えれば場所にこだわる必要はない。ただ近くにあればいいんです。「アイコンにしたい」という意味では、これから建築デザイナーさんと打ち合わせをしていく中で決めていくことですが、イメージで言うと「トラックランド」みたいな場所ですね。
____ トラックランドというのはお客さんやドライバーの方が気楽に集える場所ということですね。
中西社長:そうですね。実際にはそこまでのスペースはないのですが、シンプルに「あそこにトラックの工場があるね」と思われるような工場にはしたくないんです(笑)。
____大きくイメージは違ってきますよね。工場然とした建物にはしたくないということですね。面白そうです。
中西社長: 片方で工場としての機能は必須なので今後、デザイナーさんとの打ち合わせの中で決定していくことになります。ただデザイナーさんには「社長さんの言っているイメージは分かるのですが相当に難しいのでもっとコミュニケーションを取りましょう」と言われています(笑)。そのデザイナーさんも非常に面白い方で、ご自分が「面白い」と思われた仕事以外は受けないらしいんです。
____どんなデザインになるのか今から楽しみですね。アイコン化がどう反映されていくのでしょう。
中西社長:さきほど会長が言った通り、車業界もトラック業界も今後、成長が見込まれる業界ではない。もう飽和状態だし、もっと大きく見ると2018年ぐらいから日本の人口減少傾向が始まっていて年間100万人単位で減っていっているわけです。2040年ぐらいには1億人を切ってしまう。それはほぼ既定路線ですから。
____確かに。
中西社長:我々が支えているマーケットというのは、物流なので人口が減れば物流の量も減るので必然的にトラックの必要性もなくなっていきます。どちらにしろ、全体的なマーケットとしてはどんどん小さくなっていってしまうわけです。今までだったら営業力をかけてシェアを広げ、戦い抜いていくのも良かったでしょう。でも、そもそもそういう時代ではないし、それができるほどの市場性があるわけではないんです。だとするとお客様から取引したくなる、そう思わせるような会社づくりをしていかなければいけないと思います。
____なるほど。そこにアイコン化が結びついてるわけですね。
中西社長:そこに戦略がありますよね。それと片方でもっと大きなリスクも考えるわけです。想定以上に需要が減っていく可能性がありますよね。それは人口だけではなくてマーケットのニーズとしてどう変化していくかが分からない。もしかしたら20年後は全部、物流はドローンになっているかもしれないんです。仮にそういう時代が来た時に、業種転換をしやすい環境を作っておくべきだと思います。だからこそアイコンもトラックだけではない弾力性のある意味あいを持ったアイコンにするべきだと思います。
____面白いですね。
中西社長:極端な話ですが10年はトラックをやるかもしれないけれど、次の10年はドローンの販売とリースやアフターケアをする会社になっているかもしれません。これは僕の勝手なイメージですが、ドローンや飛行機の投資の話をもらったことがあって、なんにせよ郊外の方が都合が良さそうでした。木更津にしたというのは現在の業態から変わったとしても、有効活用の効きそうな場所という意味もあるんです。
____なるほど。やはり中西社長はトラック業界がマーケットとして縮小していくことへの危機感だったり、物流そのものが先進の技術によって大きく転換していく可能性を念頭に置かれているんですね。
中西社長:はい。経営者としてのリスクヘッジは相当に気にかけていると思います。実際の対処はまったく別の話ですが、どういうリスクがあるかということに関しては常に念頭に置いています。本当に最悪のケースだって考えていますよ(笑)。極論を言ってしまうと「日本に住んでいることさえ危うい」と思っているので、その危機感の中で今後の20年間をやって行かなければいけない。
____深刻ですね。
中西社長:ただその反面でポジティブな変化という意味では、モータリゼーションやモビリティという意味で千葉は熱くなっていく気がするんですよね。最近、ポルシェやコーンズがプライベートサーキットを千葉に造っていますよね。それを機会に南房総の館山なんかがリゾート地として再認識され、ドライブルートも開拓されていくのかなと期待しています。あくまでも個人的な趣味の範囲ですけど、千葉は都市部の近場で行けるモビリティスポットとして成長できそうな気がするんですよね。
____確かにそうですね。
中西社長:新たなリゾートモビリティとしての可能性でしょうか。たぶんこの5年ぐらいでそういう流れができる気がするんです。そこを取り込むベースとして木更津はあるんじゃないかなと思うんですよね。今のところ、トラックが熱い場所としての木更津のイメージはないんですけれど。
____ゴルフはもちろんだし、釣りだったりグルメだったり千葉のポテンシャルは相当高いですからね。
中西社長: ちょっと話が逸れるかもしれませんが、本音で言えば横浜にカジノが来ることを期待していました。それは何故かと言うと横浜市の山下に IR(統合型リゾート)ができたとして、もうあの辺に土地はないんです。あそこでシンガポールやマカオのようなカジノリゾートを作ることによって、アジアの富裕層が訪れるようになりますよね。そういう資産10億以上のビリオネアの人達は旅行に来たからといってプリウスを借りるわけではないんですよね。しかも長期で滞在するからカジノだけではなくて、「海が見たい」となった時にそれを提供できる場所というのがそんなにないんですよ。江ノ島ももう飽和状態です。その受け皿になるのが千葉だとおもっていました。
____千葉は設備の良いゴルフ場も多いですもんね。
中西会長:千葉はいまだに土地が余っているんですよね。館山も含めて安い土地はまだまだあります。そこにも若い世代の波が来れば、一気に動く可能性はありますよね。
中西社長:これは僕一人でどうのこうのという話ではないです。ただ日本が「この先どうやって国力を維持していくか」と考えると観光しか残っていないんです。IT産業も規制ばかりが先に立って、せっかくの成長チャンスをふいにしてしまいました。この先、中国やアメリカに追いつくことも考えにくい。自動車産業もこれまでの内燃機関で抱えてきたサプライヤーは半分以上、使えないはずなんです。たとえば日本を代表するトヨタ自動車なんかはサプライヤーのことを考えなければ、とっくの昔に業態転換していたと思います。豊田社長がトヨタの事だけを考えるのであれば、もっと早い段階で次世代自動車向けに事業転換を図っていたはずです。そう考えても日本は食と自然に恵まれていて、そのレベルも世界でトップクラスだと思うので今後、観光は大いに成長する可能性がありますよね。
中西会長:千葉は、神奈川や東京の人にとってもアクアラインの便利さがあってゴルフ場の需要もあるのに、宿泊したい設備がない。例えば高級旅館やホテルなんかがないんです。それだけまだ観光事業として開発する資金が投下されていないんですよ。あくまでも日帰りでゴルフ場ぐらいしか訪れる理由がない。箱根や伊豆なら必ず宿泊も伴うんですよね。その意味ではまだまだお金を落としきれてない所があると思います。今後は高級な観光設備とそれを海外の人がどう評価してくれるか、というところにかかってるんでしょうね。
____なるほど。宿泊を伴わない観光地というのは確実にありますよね。いっそ館山自動車道を日本初のアウトバーンにするとか富裕層向けの特区的な扱いがあっても良いかも知れませんね。さて新工場は通常の工場業務以外に、例えばファストエレファントのショールームにするような現段階で決まっている決定事項はあるのでしょうか。
中西社長:特に決めていないです。とにかく工場らしくない整備工場にこだわりたいです(笑)。そのために例えば1アイデアですが10メートルぐらいのガラス貼りのショールームを作ってみようかと思っていたり。
____最初の人員的には何名ぐらいで操業される予定でしょうか。
中西社長:もっとも人が揃ったところで、20人ぐらいで回すのが理想的でしょう。ただスタート時から人員を揃えられるかと言うと「現実的ではないな」と思います。これから設計して着工して1年はかかるので工場の操業開始は「来年ぎりぎり」と見ています。それまで1年半ぐらいはある中で、新たにフロント業務だったり、現場も含めて10人ぐらいの新規スタッフが必要だと考えています。それは「問題ないのではないか」と考えているんですよね。
____木更津に在住する整備士を探すとか。
中西社長:それだけだと厳しいので、木更津勤務が可能な整備士を全国から募集するつもりです。
____本社と木更津をシャトルバスでつなぐイメージですか。
中西社長:まだそこまで実務的には考えていないです。
中西会長:ここから3~40分で到着するので、高速代さえ出してあげれば充分、通勤圏内になりますよ。
中西社長:それに木更津駅から川崎駅まで高速バスが出ています。それで通ってる人も結構いるんですよ。川崎側だと臨港バスだし、向こうは小湊鉄道さんなんですよね。
____それは驚きました。意外と木更津と川崎の通勤って普通のことなんですね。
中西社長:通勤時間帯はちゃんと本数も出ています。ですからそこはあまり気にしてないんですね。
中西会長:いまはアクアラインに乗ってもトラックの数に驚きます。昔は割引されるのは乗用車だけだったんですよね。現在はトラックにも適用されていて、本気で千葉に産業を誘致したい行政の熱意を感じます。
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