株式会社ヨシノ自動車

富士運輸株式会社 執行役員 車両販売部 部長 瀬野博之様

トラック業界”鍵人”訪問記 ~共に走ってみませんか?~ 第32回

富士運輸株式会社 執行役員 車両販売部 部長 瀬野博之様

富士運輸株式会社 執行役員 車両販売部 部長 瀬野博之様

「やがて日本のトラックの基準になる!? セノプロのハイエンドカスタムの世界」

奈良県に本拠地を置く富士運輸株式会社は車両台数1,250台、グループを含めると1500台保有。従業員数もグループ総数1,800名の大規模な運送会社です。この10年間で規模を約20倍にも拡大してきた、まさに“関西の輸送の雄”です。この急成長を遂げる運送会社にあって、車両販売ブランドであるセノプロは車両販売、車両カスタム、パーツ販売を手がけ、加速度的に知名度を獲得してきました。そして国内のトラックショーはもちろん、日野自動車と協業して昨年のハノーバー国際商用車ショー(以下、IAA)に日野自動車の大型トラックを出展し、世界に大きなインパクトを与えました。そんなセノプロの顔ともいえる富士運輸株式会社の執行役員、瀬野博之様に今回はご登場いただきました。なぜ運送会社が独自の車両販売を手がけるようになったのか? そして今後の展望は? ヨシノ自動車との共同プロジェクトも進行しており、その話にも触れています。

写真・薄井一議
デザイン・大島宏之
編集・青木雄介

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瀬野博之(セノ ヒロユキ)様
1973年6月18日生まれ。1993年4月に奈良交通株式会社入社(主に、大型バス整備)。1997年6月に奈良三菱ふそう株式会社 (大型トラック整備)。2000年10月、富士運輸株式会社入社。2019年、セノプロトラックス株式会社 設立。現在に至る。

経費削減のプロからセノプロへ

____もともと富士運輸株式会社という運送会社が母体としてあり、なぜセノプロさんが生まれたのか教えていただけますでしょうか。

瀬野:はい。20年前に、先代の社長に誘われて「社内の車両整備を統括するように」と言われ入社しました。私の仕事は車両管理の改善と整備費用の支出の部分をどこまで下げることができるか、経費削減のプロとして入社しました。整備をより内製化していく、弊社の経営者に「経費削減のことは考えさせないように」するために、私は入社をしました。その仕事は社内整備に特化していたので、たとえば「ある支店が事故を起こしました、オーバーハングでぶつけてしまいました」という事例に対して、その都度指導するのが私の役目だったんです。その支店に出向き、「何してんねん」と。会社全体でいかにお金を削減するかを努力しているのに、事故をされてそれが大きければ経費削減も徒労に終わってしまいますよね。

____確かに。

瀬野:そんな風に指導している中、 ある支店が繰り返し事故を起こしていました。事故は支店長の責任でもあります。「また同じことやってんのかいな」と言うと「今後は注意喚起します」みたいなこと言いますよね。どんな注意喚起をしているのか、どんな是正をしているのか、そういう話を具体的に聞いているうちに「そんなこと言ってもお前ら、俺たちの運賃で飯食ってるんやろ」みたいな態度をされるわけです。

____なるほど。

瀬野:僕の仕事というのは、経費削減であってお金を生む仕事ではありません。「結局、お前の給料は俺らが走った運賃だろ」と。そこまで言うなら分かった。それなら整備でも、たとえ片手間であったとしても「ちゃんと利益をあげよう」と考えました。それがきっかけですね。そういったことを考えているうちに、まずは他社のトラックを買ってきて売ったり、自社のトラックを売ったり買ったりを始めました。知っている運送会社や社長からどんどんトラックを買っていきました。その仕事が増えていって、ついにその支店の売り上げを抜くまでになりました。

きっかけは友人を元気にしたかった

____素晴らしいですね。利益を上げていったのですね。

瀬野:はい。そしてあの支店長に「お前、これを悔しいと思えよ」と言ってやりました。そこからですね。さらに発展してスケールメリットを活かして仕入れ、販売することにしました。ただ僕からしたら「トラックを持っているから売れるんでしょ?」と思われているのは、納得いきませんでした。だったらちゃんと実用的で格好いいトラックを作りたかった。それで「セノプロを作ろう」と考えました。セノプロの仕事は1日でできるような仕事ではありません。1台の袈装には3か月ぐらいはかかりますので。そんな僕の反抗期の中で(笑)、2008年にセノプロはスタートしました。

____なるほど。第一号車が出来たのですね。

瀬野:誕生のきっかけになったのは横浜のティー・ピー・サービスさんなんですよ。ここの永井社長さんが僕の講演に来てくれていたのがきっかけです。講演の内容は運送会社が30台あったらやるべきこととか、500台あったらやるべきこととか、そんなマネージメントに関する講演でした。それで知り合ったお客さんがまたお客さんを呼んでくれたり、繋がりがもてました。そんな中で永井社長が、目に見えて元気のない時期があったんです。自分ができることで力になれることは無いか考え、「僕が本当に好きなトラック、元気が出るようなトラックを作ってもいいですか。ギンギラギンのやつですよ」と頼んでみたんです。それで初めて作らせてもらったんですね。

____反応はどうでしたか?

瀬野:永井社長はもちろんとても喜んでくれました。さらに、それを見た他の運送会社さんが、「これどこで作ったの?」と一気に話題になりました。それが口コミや SNS で拡散されて広がっていったのと、富士運輸の横のつながりでダンプやチップ車など他業種からの引き合いが増えました。予想もしていなかったところで名前が売れたので、ありがたいですよね。 もちろん本体の富士運輸は運送業者なので、同業者からトラックを買いたくないと考える人も当然います。「富士運輸からは買わへん」その一言で終わってしまうんですよ。そうならないようにするためにも別会社としてやることにしました。例えば同じ運送会社だったとしても、会社として独立していれば、そこで繋がれるわけですから。だからこそ僕も自由に飛び込んでいきやすいですよね。

IAAで受けた衝撃

____ セノプロさんは瀬野さんのもともとの整備士としての経験と、運送会社ならでは実地に使用され、必要とされるマネージメントの中で評価される独自のカスタムだと思うのですが、一方でハノーバーのIAAのような国際商用車ショーにあえて出品される意味というのは何かあるのでしょうか?

瀬野:IAA に絞っていうと、10年前ぐらいに初めて行ったんですよ。初めは行くのが嫌で罰ゲームのつもりで行きました(笑)。 「なんで空港が成田やねん」などと思いながら。でも現地に行ったらカルチャーショックでした。自分のトラックに関する固定概念がことごとく崩れました。これは「すごい」と。それがきっかけで毎回行っていた中で、去年は「これだけの規模の世界のトラックショーなのに、何で日本のトラックが出てないんだ」と考えて、単独で出展したんです。日本のトラックといえば日野、シャーシはパブコで日本のテールランプやマーカーなんかをつけて持って行きました。

____「オール・ジャパン」というテーマでしたね。

瀬野:はい。ハノーバーのショーはドライバーからその子供たちまで、いろんな人たちがいっぱい来るんですよ。やっぱりヨーロッパを走っているトラッカーが、日本のトラックを知っているかと言ったら全く知らないんですよね。それで日本は「こんなトラックですよ」という、代表的なのを持っていきたかったんです。毎回、向こうに行けば日本人に会うんですよね。メーカーだったりボディメーカーさんだったり。当然、日本人ですから喋りますよね。そこで「今度、日本で出しましょうよ」なんて現地では意気投合するんですが、なぜか帰りの飛行機では「出せたらいいな……」に変わっているんです(笑)。

海外で拡がる国内のビジネスチャンス

中西:どんどんトーンダウンしていっちゃうんですね(笑)。

瀬野:日本に帰ると、もうその先の夢みたいな話に変わっちゃってるんですよね。 そんなこともあって「もう単独で出したろう」と。それで協力者を集めました。新潟運輸さんは酒蔵を持っているので日本酒をカンパしてもらいました。それとボディメーカーさんにいろんなパーツを寄贈してもらって、出展しました。向こうに行ってトラックを売るつもりはありません。ただハノーバーにいって、あの一角を借りて、来ている日本人とはだいたい全員と名刺を交換しています。あそこにくる日本人というのはそもそも決定権のある人なんですね。決済の速い人です。おかげさまで、日本で帰ってから仕事につながったケースが非常に多くありました。

____まさにその時、中西社長もハノーバーをご覧になられていたわけですね。

中西:そうですね。あの時のハノーバーが初めての時でしたね。

____その時のIAAの印象はどうでしたか?

中西:瀬野さんと同じ話になっちゃいますが、カルチャーショックを受けましたね。そもそも規模感が、話には聞いていましたが想像を絶する敷地面積でした。それこそ東京モーターショーでさえ東京ビッグサイト貸切ぐらいの大きさですよね。あれクラスの大きさの建物が32個ぐらいあるんですよ。一つの建物が東京ビックサイトと同じぐらいなんですよ。少なく見積もっても東京ビッグサイト30個ぶんはあるぐらいですよね。

____それはもう全てトラック業者の出展なんですね。

瀬野:そうそう。それを連結バスが全部、繋いでいるんです。

中西:トラックに関わるシャーシメーカーさんだったり、ボディメーカーさんだったり、それに付随するパーツメーカーの人たち。もう自分の知らないものがありすぎちゃって、見れたのなんて本当にごく一部ですよ。16年間、トラック業界にいて、あれだけ出展していて自分が知っているのは「その5%にも満たないのではないか」と思わされました。

国際ショーで存在感をみせる鳳凰のマーク

____そこで見えたセノプロさんのブースはどんな感じでしたか。

中西:その圧倒的な情報量の中で見ちゃうと、日本でたった一社です。なので押されちゃってる感じはありますが、存在感は際立っていました。本当に日野もいすゞも三菱もないんですよ。まぁ、三菱はダイムラーのブースで展示されてるぐらいですよね。それはあくまでも連結子会社だからであって他はないんですよ。あの鳳凰のマークは目立っていましたね。

瀬野:色んな所で日本の鳥って「何?」って聞いたんですが、そこはやっぱり「鳳凰やな」と。もともと中国の鳥なんですが、鳳凰っていろんな色の鳳凰がいるんですよ。当時は、連結全長が日本最大サイズのトラックを持って行こうと思ったんですが、結果的に間に合わなかったんですよね。国交省のテストとかを受けていると、全然間に合わない。 来年も、もちろん行くつもりでいるんですが、去年出展者になったおかげで、ショーそれ自体が全然見れていないんですよね。

中西:きっとそれは僕の方が見れてますね(笑)。

瀬野:だから来年はもう見る方に回りたいと思っています。IAA では前回出していた出展者が出してないと「あそこ、大丈夫か」とうわさになってしまいますので、次回出す時は外のブースではなくて中のブースに出展したいですね。

海外で日野のマークが人気の謎

中西:本当に、あらためて日本のパーツを海外に売るためにもう1回できないですかね。やっぱりトーンダウンしちゃうんですかね。

瀬野:もっと国内メーカーさんと連携が取れればいいんですけどね。

____出展してみて、ヨーロッパでも販売できるというような手応えは感じられましたか?

瀬野:現実として日本のトラックはヨーロッパでは走れないんです。大型は排ガスも規制を通らないですし、持っていったトラックに小糸のカスタムテールを付けていったんですよ。

中西:歌舞伎テールですね。

瀬野:それです。あれもヨーロッパではつけられませんでした。縦幅が高すぎるんですね。せめてパーツだけでもと思ったんですけどね。やっぱり、その点は日本の方が遅れているんですよ。我々は商売にはつながらなかったんですが、協力してくれた日野自動車さんは商売に繋がりました。七日間のうち四日間ぐらい毎日通ってくれたお客さんがいたんですよ。そのお客さんはマルコさんと言って、スペイン領のグランカナリア諸島から来ていました。マルコさん曰くグランカナリアには「日野がないから日野を入れたい」と。それでメーカーの海外部隊とマルコさんをつなげました。その際、「デュトロ100台入れたら僕をグランカナリアに呼んで」と言いました(笑)。 トヨタマークじゃなくて、Hマークが欲しいらしいんですね。向こうは偽物の日野のマークを貼り付けて走っているほどなんです。

____日野が人気とは驚きました。

瀬野:ブランドとして日野が強いらしいんです。 ヨーロッパでは人気がなくてもある一部で、局所的に人気になることってよくあるんですよ。キューバでも日野は人気です。 Hマークの偽物をつけたトラックがいっぱい走っていますよ。

____それはびっくりしました。

中西:それ南米でもありますよ。グアテマラとかの方にやっぱりデュトロが欲しい、と言われて輸出した記憶があります。

瀬野:そう。やっぱり日野なんですよね。ダイナがあるから「ダイナでもいいやん」と言ったんですが、そこは「日野が良い」と頑ななんですよね。オーストラリアの運送会社とコネクションを得られたり、商売にはならないけれども勉強にはなりましたね。

____ただ日本国内でのビジネスには繋がっていくわけですね。

瀬野:はい。とにかく名前が売れましたね。僕らは東日本が弱いんですが、知ってもらえる機会になりました。びっくりしたのが「サインをくれ」と頼まれたことですね(笑)。ほんまに?書いて ええの?みたいな(笑)。

ハイドローラーとの出会い

____実際に瀬野さんが商材も見つけられる。

瀬野:そう。そんな IAAで見つけてきたハイドローラーが弊社の一番の推しですね。

____IAAではどんな感じで見つけたんですか。

瀬野:何気なく会場を見ていたんですが、目に入ってきた時、本当にびっくりしましたね。これめっちゃええやん、と。そこのバウダーさんという副社長と、ジョーさんという担当者がいて、有名なジョロダー社がハイドローラーをM&Aで吸収合併したんですよ。

____あのジョロダーレールで有名なジョロダー社ですね。

瀬野:そうです。だからハイドローラーはジョロダー社が窓口なんです。でも「日本での扱いはない」ということでした。日本のボディメーカーは大体そうなんですが、使いもしないのにこれは日本の作業環境に合わないと判断して、輸入しないんですよね。僕らの場合は現場から吸い上げていっているので、その必要性が分かるんです。ジョロダー社も例のジョロダーレールは40年間卸してるわけだし、 ハイドローラーを日本市場に売りたいなんてことは考えていなかったんです。これを作っているのはイギリスのリバプールですが、何度かリバプールに足を運び国内用に設計を見直してもらって、やっとできたのがこのハイドローラーなんですよ。もうすぐ第2弾を出しますよ。12月にコンテナで持ってきて、販売すると思いますね。良いものは「とにかく入れていかなきゃいけない」と思ってます。あと弊社の新製品だと、平ボディのアオリを開発中ですね。ガスダンパーをつけることによってバランサーがいらなくなるんです。

セノプロを純正メーカー推奨ブランドにしたい

____なるほど。わかりました。実際の運送業で培われた必要性が理解できるのはセノプロさんならではですよね。セノプロさんの今後の方向性はどういうものにしていきたいと考えていらっしゃいますか?

瀬野:一番は純正メーカーが推奨するメーカーになりたいですね。 メルセデスベンツのAMG だったりBMWのM だったり日産の NISMO みたいな感じで。メーカーが推奨していてメーカーのオプションカタログに載るようなブランドにしていきたいです。 

____ドライバー目線で考えた時、どんなメーカーでありたいと考えますか?

瀬野:やっぱり荷扱いを楽にしたい。それでいてルックス重視ですね。僕の息子が大学生の時、アルバイトで看板の施工をしていた時、それまでまったく何の興味もなかった息子が「こんなトラックだったら乗りたい」と言っていたんです。そんなふとした感想というのは、誰にでもあると思うんです。コンビニでバイトしているお兄さんが「こんなトラックあるんだったら乗りたい」という風に。そうやって異業種や他業種からドライバーを求めていかないと、ドライバーは増えませんよね。格好いい。それだけでもいいですよね。

「こんなトラックだったら自分も乗りたい」と思わせるために

____ルックスはドライバーになりたいと思わせる大きな要素ですよね。

瀬野:それと子供に見せられる機会をどんどん増やしていきたいです。 僕も出身は長崎なんですが、船に乗る時とか大型トラックが「かっこいいな」と思って見ていました。その頃はこんな仕事に就くとは思いもしませんでしたが、かっこいいと単純にそう思わせられるだけでもいいんです。今の運送業界、スペアタイヤが交換できる運転手は求められていないんです。綺麗に乗ってくれて荷物を安全に運んでくれればそれで十分。ファンベルトを一人で調整できるとか本当にそんなのいらないんです(笑)。労務管理がしっかりしていて、福利厚生もしっかりしている会社だとして、ノーマルのトラック乗りたいですか、それともセノプロのトラックに乗りたいですかとなった時、それは格好いい方に乗りたいに決まってますよね。

____絶対にセノプロですね。

瀬野:運転手でそういう子たちを巻き込もうと思えばこの考え方は必要だと思うし、セノプロを作る時に限って言えば僕は「自分が乗るんだったら、こんなトラックに乗りたい」と考えて作っています。その時、あまり相手の言い分は聞かないようにしています(笑)。それはやっぱり変なことになっちゃうんですよ。それを生きがいとして僕はセノプロをやっていますね。今後、東京の浜松町に事務所を構えるので、メーカーと直接対話する機会も増えると思います。

セノプロとファストエレファントのコラボが実現する!?

____来年のトラックショーはヨシノ自動車とセノプロさんで共同ブースを計画されているそうですが、その辺の話を教えていただけますか。

中西: 一言で言うとノリです(笑)。昨年たまたまブースが隣だったこともあり、瀬野さんとも知己を得ることができました。ファストエレファントも、セノプロさんもカスタムの方向性は似ています。ドライバーに「自分も乗りたい」と思わせるような、格好いいカスタムトラックを作りたいですよね。デコトラはデコトラで、あれは日本の文化だしあれはあれでいいんです。ただトラックカスタムとして、それとは違う価値、フォロワーを見出していきたいですよね。日本でもトラックのカスタムショーみたいなことができたらいいですよね。 

____具体的に来年のトラックショーのイメージはもうありますか。つかみだけでもいいんですけど。

瀬野:まだなにも決まってないんです。でも、とにかく楽しくやりたいですね。例えばトラックショーに来ました。ドライバーが中西社長と気軽にトラックの話ができる。他にそんな機会は絶対にないでしょう。ふそうのブースが例えばあります。そこでフィリップ統括部長と、ドライバーがスーパーグレートについて語り合う。そういう機会は他にないんです。そんな特別な機会なんだから、楽しくやりたいんです。 お祭りですよね。メディアの人にとってもアポイントを取ったり、そんな面倒くさいことをしなくても行けばそこにいるわけですから。 そういう会を楽しくやりたいですよね。 

瀬野博之(セノ ヒロユキ)様
1973年6月18日生まれ。1993年4月に奈良交通株式会社入社(主に、大型バス整備)。1997年6月に奈良三菱ふそう株式会社 (大型トラック整備)。2000年10月、富士運輸株式会社入社。2019年、セノプロトラックス株式会社 設立。現在に至る。

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