株式会社ヨシノ自動車

トラック業界”鍵人”訪問記 ~共に走ってみませんか?~ 第61回

杉崎運輸株式会社 専務取締役 杉崎 酉佑様

杉崎運輸株式会社 専務取締役 杉崎 酉佑様

「私がボルボトラックを選ぶ理由 第12回」

ボルボドライバーや導入を決めた企業を招いて、ボルボトラックを語りつくす「私がボルボトラックを選ぶ理由」。第12回目となる今回は、神奈川県小田原市の杉崎運輸株式会社の専務取締役の杉崎酉佑様にご登場いただきました。杉崎運輸株式会社様は輸送、倉庫、モータースポーツ、工場事業と4つの事業をメインに手がける大手運送会社です。従業員は213名、車両台数は148両(HPより)。今回はボルボトラックとの関わり、モータースポーツ事業を中心に、離職率が圧倒的に少ない企業経営の秘密にせまります。また新事業の目玉として導入したドイツ製のトレーラーを紹介していきます。移動する高級ラウンジともいうべきスペースの全貌もぜひご覧ください。

編集・青木雄介
WEB・genre inc.

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杉崎 酉佑(すぎざき ゆうすけ)様:
神奈川県小田原市出身。平成20年ヤマト運輸入社、平成23年 杉崎運輸株式会社へ入社。令和4年専務取締役に就任。現在に至る。

なぜボルボを導入したのか

___杉崎運輸さんでボルボを導入されたのは何年前ぐらいでしょうか。

杉崎:5年前ぐらいですね、

___きっかけを教えてください。

杉崎:もともと弊社ではダイムラーのアクトロスを入れていました。そんなダイムラーが日本から撤退してしまいましたので、その代わりとなる欧州メーカーを探していました。弊社はヨコハマタイヤさんと繋がりがあって、ヨーロッパではアドバン(ヨコハマタイヤのレーシングライン)カラーのボルボがあったと記憶していたんですね。それがボルボを購入したきっかけでしょうか。

___ボルボを導入してみた感触はどうでしょうか。

杉崎:ダイムラーは丸みを帯びたイメージなのでボルボはより無骨になった印象です。基本的にモータースポーツ部門のトレーラーヘッドとして運用していきたい、という思いがあったので「よく似合っている」と思いますね。

___モータースポーツにおけるトランスポーターに求められるイメージというのは、どういったイメージなのでしょうか。

杉崎:各社それぞれだと思うのですが、私たちとしては丸みを帯びたものより角ばった形を求めます。現社長が無骨な感じのトラックが好きなので アメリカ社製のトランスポーターとボルボのトラクタとの整合性も「合致している」と思いますね。

若い人材が躍動する運送会社

___杉崎さんではボルボのトラクタを15台ほど入れているとか。

杉崎:そうですね。モータースポーツはほぼボルボですね。一般貨物でも4台ぐらいはボルボを使って全国を走っています。

___ドライバーさんの評判はどうでしょう。

杉崎:評判はいいですよ。最初に国産から乗り換えると目線の高さに戸惑うようです。それ以外は車内環境も「非常に快適」と聞きますし「ありがたい」と喜んでもらえていますね。

___なるほど。杉崎運輸さんはドライバーの人気が高そうですね。

杉崎: 弊社は思いのほか離職率が低いんです。人の入れ替え自体がほとんどありません。そこを弊社のストロングポイントとして置いています。運送業界は若い人材が入ってこないイメージが一般的なのですが、弊社ではこういったトレーラーやボルボに乗っている人材は23歳や24歳の若手にも任せています。モータースポーツの部門でも今月から22歳の人材が入ってきました。私は36歳ですがモータースポーツでは私と同じ年齢ぐらいの人材が中核を担って切り盛りしてくれています。いわゆる一般的な運送業界の年齢比率で言うと弊社は「若いのかな」とは思います。

中西:おそらくダントツに若いと思いますね。

___やはりそうなんですね。

中西:それもトレーラーや大型トラックを乗る年齢層としては若いと思いますね。SNS を見ると SNS を駆使する若者が多いから若者が多いように見えてしまうんですが、全体の比率から見ると若い人材はまだマイナーな存在なんです。

企業イメージの先頭にたつボルボトラック

___やはり業界が高齢化してきているということでしょうね。杉崎運輸さんの特徴はまずドライバーが乗りたいと考えるトラックがあり、「この仕事を続けたい」という気持ちにさせてくれる運送会社なんでしょうね。

杉崎:そうあって欲しいと思う反面、半年前ぐらいに21歳ぐらいの女性が「トレーラーに乗りたいです」と門を叩いてくれたんです。「ボルボのトレーラーに乗りたい」と。ダンプは乗っていたようですがトレーラーの経験がなかったので、ご辞退させていただいたんです。ただ「杉崎運輸 = ボルボ」というイメージはあったんでしょう。とても嬉しかったんです。「そのイメージが定着してきてくれているのかな」というのと、モータースポーツ専門誌でトレーラーの特集をやってくれる時は、弊社がメインになっています。ボルボの台数や詳細も全部、乗せていただいているんですね。「社内外で認識が浸透してきているからなのかな」とも思います。

___モータースポーツのイメージはドライバーの間でも人気が高いですからね。

杉崎:もともと弊社の現社長(杉崎直司様)がレーサーだったという経緯があり、弊社のモータースポーツ部門はその社長自身が立ち上げた部門です。弊社としては、それを可能な限り存続させ成長させていきたいのです。それはモータースポーツ担当の皆が思ってくれていることだと信じています。

___そんなモータースポーツ界と現場やスポンサードにおいてつながりの深いヨシノ自動車ですが、その点はどうでしょうか。

中西:弊社は、そもそも社としてではなく個人対個人の接点から始まっています。スポンサードも私個人なので、名前を一応、ヨシノ自動車にしているだけなんです。ですからメーカーとして、どこを応援するというよりは個人を応援しています。そこにロニーさん(ロニー・クインタッレリ氏)や横溝さん(横溝直輝氏)がいるということですね。おかげさまで露出が多く、認知もされて来ています。最初は広告や宣伝にスポンサーシップを使おうという気はあまりありませんでした。ただ自然に認知度が上がってきている感覚はありますね。

総合ブランドとしてのボルボ

___なるほど。

中西:それに加えて杉崎運輸さんの方で、ボルボを入れていただいてから5年ぐらいが経っています。実際に10台以上ものボルボトラックが入っていると、そこでの自然な相乗効果が生まれていって、弊社の代わりに広告宣伝もしていただいているイメージになります。結果的にその効果はありますね。杉崎さんのボルボが走れば走るほど、弊社が営業するまでもなくボルボの認知度は高まっていくんです。そんな裾野の広がり方に繋がっていっているような気がします。

___アルフレッドさんはどう思いますか。

アルフレッド:話が戻ってしまうのですが僕も杉崎運輸さんに若い人材が多いのに驚きました。ヨシノ自動車でも主力のお客さんは40代以上です。「なぜ杉崎運輸さんには若いドライバーが多いのだろう」というのはずっと考えていて、やはりモータースポーツのイメージが一番大きいのではないかと思うんですよね。実際のところ、弊社のお客さんが増えていくケースは紹介が大きいんです。もうひとつは「このトラックを見たからヨシノで買いたいんだ」と言うケースもあって、その典型的な例になると思いますね。杉崎運輸さんの貢献は計り知れないです。レース当日のトランポ用のヤードにはボルボトラックが並んでいるんですよ。それだけで圧倒されちゃいますから。

___同じ欧州製トラックでは、スカニアという選択肢もあったと思うのですが。

杉崎:同業他社さんでスカニアをメインにしている会社さんもいらっしゃいます。とはいえ、だからボルボというわけでもなくて、私の認識の中ではボルボというブランドは乗用車(ボルボカーズ)にもあります。スカニアにはそのイメージがないので、乗用車から大型トラックまでつながっている幅広い経験値や歴史があるから信頼できるんです。そういう大きな目で見た時にボルボトラックを選ぶんですね。それに加えて杉崎運輸の顔がないと若い人材も入ってこないでしょう。周りと違うことをやっていく、挑戦していくという姿勢は企業にとって大事なことだと思います。弊社のような会社はともすればお客さんに淘汰されるというより、時代に淘汰されてしまう方が怖い。その点を一番に気にしていますね。

ライフスタイルの経験値が高いドイツ製トレーラー

___その意味でまさにドイツ製のシュラーのトレーラーだと思うんですが、詳細は別ページの方でご確認いただくということで、中西社長とアルフレッドさんの感想をお聞かせください。

中西:見たことのないトレーラーであるのは確かですし、日本で造っているところも見たかったことはないので初めて見た驚きがありますね。ドイツのシュラーというメーカーはヨーロッパでは非常にメジャーなメーカーでレース業界はもちろん、キャンプや競馬馬の移動に使われていたりもします。ライフスタイルに根ざしているという意味では、欧州の方が断然に定着していて歴史もある。だから最初に見た時に「思いつきで造ったものではないな」という感覚がありました。日本では本邦初公開のトレーラーという感じなんですけど。

アルフレッド:僕はまず大きさにやられちゃいましたね。今までこれだけ広い空間をとれているトレーラーを見たことがなくて、これだけ広いと色んな用途に使えるから選択肢が広がりますよね。パーティールームとして使えるし、研修室としても使えるし、一時的に休憩所や会議所としても使えます。大手なら1台あって不思議ではないトレーラーだなと感じました。それと設備がしっかりしていますね。エアコンも業務用の素晴らしい製品が付いています。キャンピングカーには家庭用のエアコンがついているけれど、それだと効きが弱いんですよ。本当にこれは重要なんです(笑)。

杉崎:エアコンに関しては製造元のシュラーがすごく気を遣ってくれて、わざわざ三菱のエアコンを取りつけてくれました。あえて日本の製品を使ってくれているんです。製造はドイツなのですが、アフターフォローがしっかりできるようにと日本製品を使ってくれているんです。

アルフレッド: 本当に日本のエアコンが一番効くんですよ(笑)。

なぜか、最初は冷たくあしらわれた

___ちなみに中西社長なら、どんなことにこのトレーラーを使ってみたいですか。

中西:すぐ思いつくのはイベント全般です。弊社は毎年、継続的に研修を行っています。年に1回か2回は場所を変えて研修を行います。通常は会議室なので、その時このトレーラーを眺めの良い場所まで持って行って、硬直しがちな空気をスッキリさせるためにも合宿研修などに使うのもいいのかなと思います。年に1回ぐらいなら「そこにしっかり予算をかけてやるのもいいのかな」とか。とにかくイベントならなんでも使えますよね。

___ヨシノ自動車は今年もイベントが多そうですからね。

中西:今年は新型のボルボが販売されました。メーカーがコロナ禍もあってなかなかイベントが開催しにくい状況なので、ディーラーが率先してやらなければいけないんですよ。そこで関東近辺のディーラーさんと合同で「サーキットを貸し切ってイベントをやろうか」という話もあるんです。その際はボルボのプレミアムユーザーと呼ばれるお得意様のお客さんを呼んで開催するのもいいな、と想像がふくらみました。いくらでも可能性が広がりますね。私の方でも伺いたかったのは、そもそも杉崎さんとシュラーとの最初の接点はどういった経緯だったのでしょうか。

杉崎:最初にシュラーというメーカーを認識したのは、弊社に欧州製メーカーに詳しい加藤専務というオブザーバーがいまして「ここがいいんじゃないかな?」と勧めてくれたのがきっかけでした。ここからがなかなか大変でした。弊社で英語が達者な後輩がいましてシュラーとコントクトを取り2、3ヶ月にわたって交渉を続けていました。その頃は「来ても無駄だよ」という感じで門前払いの体だったんです。社長に報告したところ「行ってこい。大丈夫だから行け」と背中を押されましたね。最初に行った時はやはり「何で来たの?」という感じですごく冷たかったんです。3泊5日で行ったのですが、そのほとんどを交渉に当てていました。その間に先方が我々を試していたようなのですが、そこからスタートしたような格好です。

売り手と買い手ではなくパートナー

___アウェイの洗礼ですね。「本当に買う気はあるのか?」ということなんでしょうか。

杉崎:いや、シュラーは高いからロシアや中東からも発注が入るらしいのです。でもとにかく彼らはメンテナンスをしないらしいのです。それで壊れるとシュラーのせいにする。要は大事なのはメンテナンスなんだ、ということでした。シュラーが最終的に決断したきっかけはドイツにはフォルクスワーゲン、メルセデスベンツ、BMW、アウディという自動車産業がある。日本にはトヨタ、日産、ホンダがある。「自動車産業というバックボーンがある」ということで、君達とであれば仕事をする。それが最終的な落とし所でしたね。当時、4年前でまだ32歳でした。同行した人間も29歳だったので若すぎて見えたのでしょう。「なめてるのか」と思われていたようです(笑)。

___日本人は若く見られがちですし。

杉崎:向こうの社長はマイケルというのですが、見た目がハリソン・フォードのようなイケメンなんです。身長が190cmぐらいで白髪なんですね。最初は圧倒されてしまいましたね。2日目ぐらいに「君たち KONDO Racing をやっているんだよね」という質問が先方からされたんです。それで「僕たちに興味がなければそんなこと調べないよね」という話になったんです。

アルフレッド:調べていたんですね。

杉崎:そうそう。それで僕ら手土産に箱根細工を持っていったんです。それもすごく喜んでくれて、今でもお客さんが来た時とかは、そのお盆でお茶を出しているそうです(笑)。でも最初は本当に上から目線なんです。英語がさほど得意でない自分でも分かるほど上から目線でしたね。

中西:ドイツの方はちょっと日本に似ているところがあって、うまくいくととことんまでうまくいくんですよね。 欧州の中ではドイツというのは日本と気質的に似ているところがあって、質実剛健ですよね。

杉崎:まあ、とにかく職人気質でしたね。「こっちでこうしたい」と言っても「こういう理由があるからこっちなんだ」と押し通されちゃうんです。こちらがお金を払うんですけどね(笑)。そもそも売り手と買い手という感覚ではなかった。パートナーという感覚なんです。対等という関係なんです、あくまでも。

中西:ある意味で理想ですね。

杉崎:だから本当に買うとなると、レースの話であれば「どんなチームなんだ?」と訊かれたり、会社の話になると「どんな人が社長なんだ?」と、すごく訊いてくるんですね。それで「そのチームには供給できない」と言って供給できなかったケースが2例あるんですよ。そのチームの考え方は「シュラーの哲学に反する」とはっきり言うんです。「分かりました」と理解はしました。

シュラー社も日本のウイングに興味しんしん

___いやー、憧れちゃいますね(笑)。

杉崎:マイケルとルッツという二人がナンバーワン・ツーですが日本にも来ています。菅生サーキットにも行っているようでした。その時に興味津々だったのが、日本のウイング車だったみたいです。事前に記事では読んでいたようですけど、実際に目の当たりにして驚いたようですね。「廃車にするウイングがあったら送ってくれ」って頼まれましたから(笑)。このトレーラーもウイングのような構造ではあるんですが、真ん中から開くわけではありません。このトレーラーのタイプはアメリカにもあるんですよ。でも日本のウイングはない。

___確かに。こんな便利な仕様がなぜ普及しないのか、ほんと不思議なんです。

杉崎:ハノーバーのトラックショーではすぐ売れたらしいですよ。

中西:プロフィアの富士運輸さんの出展車両ですね やはり東南アジアでも、たとえ日本のウイングメーカーであっても、ウイングは販売していなくて箱車らしいですね。

杉崎:やはり荷扱いの違いではないでしょうか。日本は丁寧なんですよ。海外の箱車だと後ろから一気に入れちゃいますからね。

中西:それと耐久性の問題はあるでしょうね。あるメーカーさんの完成車なんて当時はまだ積載がうるさくない時代で、4軸で20トン積んでいるのは当たり前の時代だったんですよね。でもそういうウイングトラックは数年でシャシーが歪んできちゃうんですよね。

___ちなみに杉崎さんは、このトレーラーを増やす方向で考えていらっしゃるのでしょうか。

杉崎:いや。このトレーラーは相当に高額ですから(笑)。弊社としては増やすというよりはこの2、3年をかけてトレーラーのパフォーマンスをソフトとハードの両方で「100%を引き出していきたい」と考えているんです。見た目は良いんですが、実際に使ってみて弱点も見てみたいです。日本人は、どうしてもネガティブなところに目が行きがちなので、強みを強みとしてアピールする方向に持っていければ、と思うんですよね。ポジティブな点を大きく引き出していきたいですね。

小田原から未来へひらかれた企業へ

___杉崎運輸さんは、こういった特殊なトレーラーは導入も含めてよく手がけられているのでしょうか。

杉崎:いや、ないですね。このトレーラーを購入する際も、私は金額で考えこんでしまいました(笑)。そもそも前例がないですし法律も大丈夫だろうか、とか。ただ社長が3秒で「買え」と即断しました。「ドイツにいって来なさい」と。導入に向けて法律上の手続きで紆余曲折はありましたが、無事にナンバーもつきました。これから自動運転が入ってくれば運送会社そのものが淘汰される可能性もあるわけです。ですから有形か、無形かは置いといて運送会社のサービスは多様化していくべきだ、と思います。他と違うことをやっていかなければいけないということもあるし、挑戦しかないとも思うんです。特に今回、このコロナ禍という事態を迎えてひしひしと感じている部分でもあるんです。

___コロナ禍の影響というのは杉崎運輸さんにも大きかったんですね。本社のある小田原というのは、富士スピードウェイが近いからだったのでしょうか。それとももともとの縁(ゆかり)の地なのでしょうか。

杉崎:もともと杉崎運輸は私の祖父である先代が創業者で、小田原のこの場所が出身なのです。現在の社長も小田原が生活圏です。レーサーをやっていましたが、富士スピードウェイが近かったというのは巡り合わせですね。

___個人的に小田原は関東圏の物流の拠点として「絶好の場所にあるな」とずっと思っていました。

杉崎:最近は小田原が注目されていますよね。新幹線が乗り入れていたり、小田原厚木道路があって東名もあって西湘バイパスもあって箱根もありますからね。

中西:ここは小田原城がありましたよね。もしかしたらですが、ここが首都になっていたかもしれないんですよ。小田原城が落城しなければ徳川家康はこの地に幕府を開いたかもしれない。全然違う話ですが、アニメのエヴァンゲリオンもありますよね(笑)。第三新東京ですね。

杉崎:そうなんです。本当に小田原は住みやすいですよ。箱根は雪が降りますが、ここは雪がほとんど降りませんし。不思議なことに小田原はコロナも抑えられていたような気がします。ちょっとクラスターが出たりはしたのですが、そもそも歴史的にも疫病対策が入念だったというような事例があるらしいんです。

杉崎 酉佑(すぎざき ゆうすけ)様:
神奈川県小田原市出身。平成20年ヤマト運輸入社、平成23年 杉崎運輸株式会社へ入社。令和4年専務取締役に就任。現在に至る。

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