株式会社ヨシノ自動車

トラック業界”鍵人”訪問記 ~共に走ってみませんか?~ 第65回

株式会社山建 代表取締役社長 中山 修様

株式会社山建 代表取締役社長 中山 修様

「私がボルボトラックを選ぶ理由 第13回」

ボルボドライバーや導入を決めた企業を招いて、ボルボトラックを語りつくす「私がボルボトラックを選ぶ理由」。第13回目となる今回は、横浜市港北区の株式会社山建の代表取締役社長、中山修様にご登場いただきました。株式会社山建様はダンプ車を中心に土木工事における残土や産業廃棄物の運搬を手がける運送会社です。従業員は25名で、創業8年目にしてめざましい成長を続けています。今回はファストエレファントで初めてカスタム・ボルボを製造させていただきました。「20歳の頃からの夢がつまった1台」と語るそのカスタムと、波乱万丈な中山社長の人生に触れていきます。

編集・青木雄介
WEB・genre inc.

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中山修(なかやま おさむ)様:
1961年生まれ。広島県福山市出身。20歳からトラックに乗り、屋台やラーメン店経営を経て、平成25年 株式会社山建を設立。代表取締役社長として現在に至る。

「ガチンコ!ラーメン道」の優勝者からダンプドライバーへ

___山建さんは起業されてから何年ぐらい経つんでしょうか。

中山:8年ぐらいですね。

___社長はもともとドライバーだったんでしょうか。

中山:ドライバーでした。この会社をつくる前は川崎でダンプドライバーでしたよ。4年ぐらいしていたかな。やっぱりこの仕事が面白いんですよね。

___どんな点が面白いと思いましたか。

中山:稼げる仕事だからです。当時は昼夜なく働いていたんですよ。やればやるほどお金になりますから。その前に私はラーメン屋をやっていたので、客を待つ仕事がすごく嫌になっていたんです。ダンプは自分が働きさえすればお金になるでしょ。

___そこは客商売と違うところですよね。客商売はお客さんが来なければ仕事にならないですものね。社長は当時、ラーメン界では名前の知れた人だと聞きました。

中山:そんなことはないですが佐野実(志那そばや創業者)さんの弟子をしていました。テレビの「ガチンコ!ラーメン道」で有名になりました。私は3期生で優勝して、チネチッタ川崎で店を出させてもらってから結局、3年ぐらいやりました。うまくいかなくて辞めたんですよね。それからダンプ業界ですね。

___なるほど。

中山:当時は身体を壊してしまったこともありました。開店にあたってTBS もお金を出してくれましたが、自己資金も大きく突っ込んでいました。もともとは広島で屋台をやっていて、屋台2軒を経営していて結構、儲かっていました。当時は自己流でラーメンを造っていたので、他人の造る美味しいラーメンの造り方に興味がありました。有名な佐野実さんの元で修行ができるというチャンスだったので、優勝することが目的ではありませんでしたが優勝できました。ただ出店にはからくりがあって、自分たちの利益が非常に出にくい構造だったんです。

中西:僕はその店に食べに行った記憶があります。もっと前にはデビット伊東さんのお店がチネチッタ川崎で出店していたんですよね。

___なんとなく時代を感じますね。テレビがまだ元気でそれを宣伝にチネチッタ川崎が場所を提供するとか。

中山:私自身もやり方が悪かったとは思います。そういう企画でやったから仕様がないけど川崎でやるなら逆に路面店で、銀柳会(川崎駅前の飲食街)の1店舗を借りて安くやれば良かったと思います。自分自身もあまり考えずに行ったのが良くなかったんです。

中西:チネチッタ川崎でやる時点で、家賃は相場より高くなっちゃいますね。

アルフレッド:ということは、社長はイチからラーメンが造れるということですよね。そのラーメンをかなり食べてみたいですね。

___一同爆笑。

広島で屋台をしていたら現在はなかった

中西:今回造ったトレーラーダンプを飾りつつトラックショーで出せたら最高ですね。

中山:逆にそういうラーメン屋台のトラックを造ってもらってもいいですよ(笑)。

中西:フードトラッカーみたいなやつですね。

中山:むかし屋台をやっている時に鉄工所の親父とそういう車を造ったんですよ。2トン車の荷台を改造して、そこに厨房をつけて客席をつけて。最初がそれだったんですよ。それをさらに軽トラで発展させて、周りにテントなんかをつけて大きくしました。

中西:それは広島の時代ですね。

中山:そうそう。当時は屋台が肩身の狭くなっていく時代でした。店舗の駐車場を夜だけ貸してもらって営業したり。それでもお客さんは結構、来られたんです。テレビでも何度も取材していただいたし。

___逆に言うと広島で屋台を続けていたら、横浜で運送業をやることもなかったんですね。

中山:それはなかったですね。

中西:本当に面白いですね。

___ちなみに中西社長はお店でラーメンを食べたことがあるとのこと。どうでしたか。

中西:美味しかった記憶があります。テレビでもやってましたからね。もともと横浜は家系ラーメンですが、個人的に好きなのは支那そばなので興味があって行ったんですよね。

中山:麺は相模原の塩ラーメンと醤油ラーメンを造ってる製麺所で打ってました。

中西:すごく美味しかったですね。

アルフレッド:ファストエレファントの大五郎(愛称)もバイトした経験があるという話でした(笑)。

___いろんな人生の交差点になっちゃってますね(笑)。

中山:覚えていないですね(笑)。違う店だったんじゃないかな。とにかく、女房と相談して投資もした分が全部パーになってしまったから「自殺するしかないな」とまで思い詰めました。

支えてくれた女房の一言

___そこから「ダンプに乗ろう」となったきっかけは何だったんでしょうか。

中山:やっぱり女房の一言でした。「そんなの考えてもしょうがないからやるしかないよ」って。死ねば保険金が入ってくるかな、ぐらいまで思いつめていたんですが、それじゃ家族に申し訳ないから。女房が「あんた、また1から頑張ればいいじゃん」って言ってくれたんですよね。それで勤め始めたのが5台ぐらいのダンプ屋でした。仕事は楽しかったんです。とにかくやればやるだけお金になるから、月に70万円ぐらい稼いでました。

___稼ぎましたね。

中山:それが楽しくて仕方なかったんです。ラーメン屋はお客さんが来なければお金にならない。最後の方は給料も出ないような状態でしたから。ダンプに乗ることで「仕事って楽しいな」って気づけたんですよね。それで私は自分でいうのも何ですが真面目な性格なので、現場に入ってトイレが汚れていれば率先して掃除をしていたりしたんですよ。空いてる時間にゴミ拾いをしたり、そういうのをこまめにする性格なんですよね。

___客商売の経験でしょうか。

中山:自分が働く現場だから綺麗にしたいんですよ。それをゼネコンの偉い人が見ていて注目されるようになって、何かの集まりでラーメンを振るまったりしているうちに、そのゼネコンの人が「お前にダンプを買ってやるから自分でやれ」って言われたんですよね。それで3台買ってくれて、ローンや燃料もやりやすいように取り計らってくれました。それがきっかけでこの会社を始めることができました。また無一文から成り上がったと思っていますね。

___広島から上京してのサクセスストーリーですね。

中西:それがまだ8年前のことなんですね。もっと前からある会社さんなのかと思っていました。

20歳からの夢が形になったボルボ

___さて今回のボルボトラックですが、もともとトラックを飾られるのを好きだったんですか?

中山:私は20歳の頃からトラックに乗っています。夢や憧れはそもそもありましたね。36歳ぐらいから屋台でラーメンを造るようになりましたが、それまではずっとトラックでした。クロネコヤマトの雑貨便から貸切の追っかけをやったり。最後はトレーラーでしたね。

___トレーラーも一般貨物ですか。

中山:3軸で鉄を運んでいました。昔は45トンという積載が取れたんですよ。私の地元には日本鋼管があるのでそこで鉄を積んで、2日かけて関東に来て3日かけて降ろして、また2日かけて帰る。その往復だけで売上150万円ぐらいになるんですよね。給料も120万ぐらいありましたよ。

___そんなに稼いでいたのにやめちゃったんですね。

中山:当時、屋台は女房にやらせていました。喫茶店やスナック、ラーメン屋もやってましたし、色々やってたんですけどね。どれもパッとしなかったですが、最終的にこの会社ができてよかったですよ。これまでの人生がいろいろあって、20歳からの夢の形がこのボルボなんですよ。社長車なので私しか乗りませんし、働く車というより言っちゃ悪いけど趣味の車のようなトラックですよね(笑)。

ダンプトレーラーは目下、流行中

___そんなトラックをファストエレファントで造られたんですが、ファストエレファントはどうしてお知りになられたんですか。

中山:もともとはYouTube などで知っていました。仕事仲間を通して、ヨシノ自動車ともつながってはいたんですが購入までは話が進みませんでした。

営業・奥田:そんな時、別のお客さんから中山社長をご紹介いただいて、それがきっかけだったんですよね。「ボルボを欲しい」というお客さんがいるよ、と。

___なるほど。なぜボルボだったんでしょうか。

中山:それはトラックの最高峰だからです。やっぱり日本の道でボルボとスカニアは最高峰です。トラックに乗っている限りはかならず「一度は乗ってみたい」って思うはずなんです。その中でも後2軸(2デフ)はさらに少ないでしょ。

中西:本当にそう言っていただいてありがたいですし、そういうお客さんも増えましたね。

___またダンプトレーラーは最近のトレンドですよね。

中山:そうなんですよね。単車で言うと深箱が絶滅危惧種になりつつあります。取り締まりが厳しすぎるんです。だからこそ、みんなトレーラーに流れてくるんですよね。またダンプトレーラーに乗るドライバーは、こういう飾ったトラックが好きなドライバーが多いからボルボが増えているんですよ。

アルフレッド:本当に一気に増えました。

トラックショーに出せる1台を造りたい

___社長はどんなトラックにしたかったんですか。

中山:仕事車という限界はあるのでやりたいことはいっぱいあるけど、やっちゃうと仕事で使えなくなっちゃうから、それを抑えるのが大変でした(笑)。「やりたい」と思い出すともうキリがないですよ。

アルフレッド:まず最初にすごくヒアリングをしたんですよ。「FE」とイニシャルをいれたいということと、「サイドバンパーを恰好良くしてほしい」というオーダーがあったんです。

中西:嬉しいですね。

アルフレッド:これはどう施工しようか、悩みましたね。

中山:名前を入れたかったのは、ファストエレファントがブランドだからです。今回のサイドバンパーはどこにも負けないぐらい「すごい」と思っています。

営業・奥田:まず最初に「他にないやつを造ってくれ」というリクエストだったんですよね。いろいろ資料を持って行ったんですが、「同じは嫌だ」と。社長としては「トラックショーに出せるレベルのものを造って欲しい」ということだったんです。

___なるほど。オリジナルにこだわる1台ですね。

アルフレッド:実はあのロゴを、そのままサイドバンパーに入れるのはかなり難易度が高いんです。ステッカーだと楽なんですよ。データを起こしてカットして貼るだけですから。今回はレディC(茂木)にお願いして図面を書き出して全部、寸法も測ったんです。

デザイナー茂木:イラストレーターで図面を起こしたものを施工してもらうのですが、それが大変なんですよ。

アルフレッド:ただ単に FE っていう「文字を入れて」って言うと本当にカクカクの文字になっちゃうんですよね(笑)。そこをくり抜きつつ、「排熱のために網にしたい」ということだったので、裏側を見えないように色を塗るとかすごく工夫してるんです。背景のパーツも塗るとか、色々考えたのですが結局のところシンプルにまとまりましたね。

中山:本当にバッチリですよ。今後あれを展開して既製品になったらいいよね。

アルフレッド:そうですね。あの形が1番収まりがいいと言うか。

中山:どうしてもあそこは熱の逃し場所にもなってもらわないといけないんだけど、真四角にして網を入れるのも格好悪い。

不死鳥のデザインが入ったロゴ

アルフレッド:それと2デフでは珍しくルーフにエアリフレクターをつけています。普通につけると高さが超えちゃうんです。それで支えの棒をトータルの高さ375cmに抑えられるようにカットしました。FEでは2台目になるんですが最初につけたのはだいぶ昔のことなので、中山さんのトラックを見て「自分も付けたい」というお客さんが目下、急増中なんです(笑)。

中山:また手間がかかるね(笑)。

奥田:手間がかかりすぎるから最初、アルフレッドに断られたんです。

___内実が明らかになってきましたね(笑)。

アルフレッド:(笑)。なんとか他のやり方がないかと探していましたね。

中山:2デフで上に工具箱を付けてる人はいますけどね。

アルフレッド:2デフは基本的に高さを超えてしまいがちなのでルーフの上に何かつけるのは断られるはずなんですよ。

中西:フルディーラーの立場だったら弊社以外は多分断ると思います(笑)。

アルフレッド:そうなんですよ。それにプラスして見どころはパイプ類ですね。フォグランプもつけて基本装備はしっかりと造りました。

中西:FEの基本装備ですね。

中山:本当に大満足してます。

アルフレッド:それと弊社のレディCこと茂木が造ったステッカーについても触れて欲しいですね。

___ステッカーですか。

中山:3回ぐらい打ち合わせして最後にビシッと決めてきたんです。

デザイナー茂木:デザインを「不死鳥にしてほしい」というリクエストをいただきました。丸いロゴに鳥をデザインすると、どうしても日本航空の鶴みたいになっちゃうんですよ(笑)。そこにいかに寄せないか、というのがすごく難題でした。

中山:すごく気に入っているんですよ。

___ロゴデザインはトラックのデザインとも違っているからきっと面白いでしょうね。

デザイナー茂木:楽しいですね。

中山:配置する場所を「どこにするのかな」って思っていたんですが、この配置もバッチリでしたね。その掛け方も小さすぎるとインパクトがないし、大きすぎるとロゴの形が変わっちゃう。最高でした。

アルフレッド:その辺のバランスはほんと難しいんですよ。

奥田:まるっきり1からのデザインだったんで難しかったかもしれないですね。

最初の2台に心を奪われた

___ボルボに乗られた感想はいかがですか。

中山:とてもいいですね。ミッションの繋がりが特にいいです。まだ仕事には使っていませんがこれから使います。荷物を積んで走るのが楽しみですね。ミッションの繋がりは今のところ国産でいうと「日野が一番いい」って言うんだけど、ボルボに比べると繋がるのにちょっと時間がかかる気がするんです。その点、ボルボはスムーズですからね。これは全然違うなと。

中西:ミッションは世界のトップクラスですからね。

___スカニアじゃなくてボルボを選ばれた理由は、何かあったんでしょうか。

中山:ファストエレファントで一番最初に2台(カインとアベル)造ったでしょ。あれが本当に好きで、動画を何度も見てるんですよ。それ見て「本当に凄い奴がいるな」と思ったんですよね。その当時はステーをつけてフォグランプをつけるとか、ほとんどいなかったんですよね。日野で買った時に架装屋に頼んで「パイプ付けてフォグランプを付けてくれ」と頼んだんです。そしたらどこからか持ってきた細いパイプに、1個5000円のどこにでも売ってるフォグランプを5個付けてきたんですよ。

いまや伝説のカインとアベルのPV

___一同爆笑。

中山:「何だよ!これ」ってなったんですよね。「おかしいやろ!これ」って。

アルフレッド:あの辺が時代の分かれ目だったんですよね。

中山:そもそもその架装屋もそういうトレンドがあるのを知らないし、YouTubeを見れば出てくるんだけど日本じゃ売ってないんですよ。ファストエレファントに言えばそれ全部つけてくれるんだから。そのうちパイプにマーカーが付いてきたり、どんどん進化してるでしょ。ほんと凄いですよね。向こうのカスタムは本当にすごい。

中西:羨ましくなりますよ。そもそも日本だと車検の問題がありますから。

中山:次のも楽しみなんです。

次回作はペイントをメインにしたい

___2台目をもう頼んでるんですね。すごいですね!

中山:そうなんですよ。いまコダイラに特注の台車を造らせているんです。

奥田:代車はコダイラさんで造って、ヘッドはファストエレファントですね。

中山:向こうのカスタムだと俳優の絵とかを描いていたりしますよね。

中西:映画のワンシーンとかありますよね。

中山:今度は全部あれにしたいんですよ。デジタルプリントで絵が描ける装置があるんですよね。もうすでに相談に行ってきました。絵柄はまだ決まっていないんですが、どの程度のことができるのか事前にリサーチをしたいと思ったんです。凹凸があるとやっぱり描けないらしいので、トレーラーの側面はまっ平らにしたいと思っています。描きやすいように、イメージは造ってあるんですけどね。

___この時間が一番楽しいですよね。

中山:そうですね。仕事のことで頭をいっぱいにするより、そういうこと考えられている方が楽しいですよね。

アルフレッド:社長自ら、何度も工場にいらっしゃってますからね。

中山:ヨシノ自動車の工場には他にもいろんなトラックがありますよね。そういうのを見て歩くのが好きなので、「こんな風にしてるんだな」とかアイデアもらうことも必要ですよね。

___目指すはトラックショーに出せる一台ですからね。

アルフレッド:「みんなのトラックフェス」に出してもらえるようなトラックを造りたいですね。

トラックを大事に乗ること

___ボルボは最近故障をほとんどしなくなりましたし、ますます需要は大きくなりそうですね。

中西:結局、一番の原因は日本の湿気なんですよね。

中山:乗り手の問題もありますよね。乗り手が気を使ってトラックに負担をかけないように走らせるか、それがすごく重要だと思うんです。ブレーキとアクセルの踏み方もあるし、それ次第で状態は全然変わってくるから。

中西:そうなんです。弊社ではレンタカーもあるので、新車で数千キロしか走ってないのに戻される時はクラッチが滑りまくってたりする事もあるんですよ。「どういう運転をしたらこういう風になるんだろう」って不思議になるんです。

中山:結局、「他人の車だから」という気持ちで乗るからそうなっちゃうんです。自分の車じゃ絶対しないはずなのに。

アルフレッド:本当に中山社長のおっしゃる通りで、中山社長にも説明をしたんですがボルボはあくまでもクラッチベースでのオートマなので、踏み方を優しく変えるだけで持ちが全然違ってくるんですよ。調子が悪いクルマに限って、アクセルをガン踏みしてたりするんですよね(笑)。

中山:アクセルでもコツがあるんですよね。オートマだってミッションが変わるタイミングはちょっとゆるめてあげたり。

アルフレッド:そうなんです。クラッチのことを考えてアクセルを踏むだけで全然持ちが違ってくるんですよ。オートマだってやっぱり機械ですからね。

中山修(なかやま おさむ)様:
1961年生まれ。広島県福山市出身。20歳からトラックに乗り、屋台やラーメン店経営を経て、平成25年 株式会社山建を設立。代表取締役社長として現在に至る。

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