株式会社ヨシノ自動車

トラック業界”鍵人”訪問記 ~共に走ってみませんか?~ 第82回

有限会社蕪島高速運輸 代表取締役社長 市沢康弘様、専務 市沢賢人様

有限会社蕪島高速運輸 代表取締役社長 市沢康弘様、専務 市沢賢人様

「私がボルボトラックを選ぶ理由 第15回」

ボルボドライバーや導入を決めた企業を招いて、ボルボトラックを語りつくす「私がボルボトラックを選ぶ理由」。第15回目となる今回は、青森県は八戸市にある有限会社蕪島高速運輸様です。すでにユーロカスタムでは話題のFEカスタムによるボルボ2台の創作秘話に触れつつ、八戸でもうすぐ創業50周年を迎える蕪島高速運輸様の歴史にも迫ります。ドライバーの好きなデザインをドンと引き受ける、社長と専務の度量の大きさにも触れる内容となりました。

編集・青木雄介
WEB・genre inc.

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市沢康広(いちさわ やすひろ)様
有限会社蕪島高速運輸 代表取締役社長 1958年生まれ。青森県八戸市出身。1984年に入社。2020年に代表取締役に就任。現在に至る。

市沢 賢人(いちさわ けんと)様
有限会社蕪島高速運輸 専務1989年生まれ。青森県八戸市出身。2012年に入社。2022年に専務に就任。現在に至る。

初代が女性社長

___蕪島高速さんは来年50周年を迎えられるんですね?

市沢社長:そうです。来年50周年ですね。登記上なのですが実際は、その5年前ぐらいから創業はしていました。

中西:昭和48年ですかね。

市沢社長:そうだと思います。

___創業はどういった経緯だったのでしょうか。

市沢社長:話し出せば3日ぐらいかかるのですが(笑)、弊社の前社長は女性社長でして、出身は岩手県の軽米町というところです。それで八戸に出てきまして私の父親と結婚しました。父親は消防団に勤務していました。私の母親は軽米から出てきて洋裁を始めて制服なんかを縫っていました。

___洋裁ですか。

市沢社長:はい。当時は良い商売だったんでしょう。母親には弟が2人いてやはり八戸に出てきまして、2人を世話していたのですが弟はドライバーになりました。そのうちに独立したいという話になって、私の母親が車を用意しました。一度は車を売却して辞めたのですが、また何年かして改めて独立したいという話になり、それが蕪島高速の前身になりました。

___なるほど。当時、運ばれていた荷物というのはやはり水産だったんでしょうか。

市沢社長:水産でしたね。鯖(さば)だったり鰯(いわし)だったりを運んでいましたね。 昔は木箱で運んでいたんです。小さい頃の記憶で覚えているのですが、木箱に氷をかけて 平ボディでシートをかけて東京まで運んでいました。

中西:そうなんですね。幌車だと思っていました。

___私も昔の冷凍荷は平台で走っていた、と聞いたことがあります。

アルフレッド:それだと着く頃には氷が溶けてしまいますよね。

市沢社長:ですから氷をいっぱいかけて、翌々着ぐらいで東京まで行っていたんでしょうね。 当時は今から60年前ぐらいの話なので、 現在とは勝手が違っていますよね。

1億3000万円の負債を抱えた船出

___やはり青森というと「デコトラの発祥地」と呼ばれることもあるし、自分のトラックを持って独立したいという気風があるんでしょうか。

市沢社長:そうですね。その気風があるんですよ。昔は白ナンバーでいっぱい走っていました。当時は何トン車だったか分かりませんが、本当に山盛り積んで東京に行ったんですよ(笑)。それこそボンネットのあるトラックの時代です。その当時は大手商社が八戸で輸出をやっていたんですよね。その株が暴落したとかの理由で地元の水産会社が倒産してしまいました。その煽りを受けて、前身の会社も当時で1億3000万円の負債を抱えてしまったんです。そこから私の母親が女性社長として、蕪島高速が始まりました。

___蕪島という名前は地元の名所・蕪島神社から取られたそうですね。

市沢社長:そうなんですよ。名前を頂きに行って、ご快諾いただいて会社が始まったんですよね。とはいえ出だしから負債を抱えているわけですから、私の母親はとても苦労したと思います。

___そうでしょう。そもそも洋裁をやられていたんですよね。

市沢社長:親父は消防士ですしね。その水産会社の不渡りを背負わされて、燃料費や人件費などで総額1億3000万ぐらいの負債だったと聞いています。

___それは大変ですね。この当時の運送業界で女性社長というのも珍しかったでしょうし。

市沢社長:先代社長は毎日、築地に行っていましたね。当時の中央運送(本社:江東区豊洲)の鈴木会長がトラック協会の会長でした。本当に鈴木会長にはいろいろお世話になったと聞いています。私も何回か連れて行かれたんですが、会長は鈴木元徳さん(中央運送創業者、一般財団法人鈴木助成事業財団をはじめ公益財団法人山梨鈴木助成事業財など公益に従事した)とおっしゃるのですが、「トラックがなければ日本は回らないんだ。輸送というのはとても大事なんだ」ということを常々に訴えられていました。私も若かったので何を言ってるのか分からなかったのですが(笑)、この年になってみると「確かにその通りだ」と頷かされることが多いんですよね。

混載便で一気に年間売上10億円の会社に

___その船出はなかなか大変でしたね。

市沢社長:当時、蕪島高速の年間の売り上げは1億5000万ぐらいでした。負債も抱えているものですから他の同業者に「蕪島高速はもうすぐ潰れる」と噂されました。それを聞いて「なにクソ」と思ったんですよね。「冗談じゃないぞ」と。そこから3年で年間の売上を5億ぐらいにしたんです。

中西:それはすごいですね。

市沢社長:さらに8年かけて売上を10億まで持っていきました。

___その時代はもう現社長でしょうか。

市沢社長:はい。それは私ですね。当時は前社長がいて営業は私が全部、任されていました。当時の八戸の荷物は300個でも500個でも1車の荷物です。個数がいくつだろうと、1車貸切が基本でした。その慣行が横行していました。私は「それが間違いだ」と思っていました。ドアは横にも後ろにもあるし、空間が空いていればどこからだって荷物は入れられる、と提案しながら営業をしました。

___なるほど。

市沢社長:それがきっかけでしたね。荷物がたとえ30個でも「持っていきます」と。「朝の2時でも集荷できるものはします」。荷物を持ってきて東京へ向かう車の横に入れたり、後ろから入れたり工夫をしました。最初は20個だった荷物が1000個になって「この間は助かったよ」と感謝していただくようになりました。こんな風に本当にゼロからのスタートだったんです。

___一度、集荷した荷物を混載して東京に運んだのですね。

市沢社長:そうなんです。蕪島高速の基本は、混載便なんです。今でもそうですよ。でも当時はたとえ1つの荷物だとしても1車貸切が基本でした。

___冷凍車の基本も1車貸切だったんでしょうか。

市沢社長:いや、当時はどこもそんな感じだったんでしょうね。どんな荷物でも1車でしたね。蕪島高速はたとえ10個でも100個でも持って行ける荷物は持っていく。その方針を受け入れていただいて、大手の顧客ともお付き合いが始まりました。

___現在の蕪島高速さんの保有台数を教えていただけますか。

市沢社長:全部で65台ぐらいです。トレーラーが8台、そのうち冷凍トレーラーが6台、 タンクローリーが2台です。大型は全部で35台ぐらいですかね。小型中型 が20数台あるでしょうね。小型中型はほとんど1日仕事ですね。朝に出かけて夕方には帰れます。

ボルボと提携したばかりのUDは……

___了解しました。ではボルボの話に移りたいと思うのですが、もともとUD さんとのお付き合いがあられたんですね。

市沢社長:UDとの付き合いは古いですね。もとは全部、日野だったんですよ。ある時を境に全部、UDにしましたね。

___なるほど。UDの印象を教えていただけますか。

市沢社長:言っていいのかな。故障が多いですね(笑)。当たり外れが激しいんですよ。故障が起きる車はずっと故障が起き続けます。故障がない車は本当にないんですよ。

中西:「ボルボも一緒だな」と思いながら聞いていたのですが、よく考えたら中身一緒ですね(笑)。

___確かにそうですね(笑)。

市沢社長:今から13年ぐらい前でしょうか。ボルボがUDと提携したばかりの時にエンジンマウントが3つしかないという話だったんですよね。あの当時は最悪でしたね。最初はボルボと提携して「きっと良いんだろう」と期待していたんですよ。

中西:あの頃のクオンは最悪と言っていいぐらいなんですよ(笑)。

市沢社長:八戸を出て高速を走っていると揺れがひどくてコーヒーの缶が飛んでくるんですよ。しまいには運転席のドアが割れちゃったんですよね。

___それはひどいですね。

市沢社長:ステップもすぐ割れちゃうし、それも2台も割れましたからね。買ってすぐですよ。それは1年ぐらい使ってもう返しちゃいました。追い金も払いました。あれはダメだったな。その時ばかりは、また日野を入れたり、いすゞを入れたりもしましたね。でもやっぱり UDは安いんですよね(笑)。

孫が遊んでいるトレーラーのミニカーに「蕪島」の文字

___大事なところですよね(笑)。ボルボを導入されたきっかけはどういった経緯だったんでしょうか。

市沢社長:あるとき、もともと弊社のドライバーだった者が北海道で独立して「傭車で使ってくれないか」と頼みに来ました。こちらは快諾して弊社で常時、走るようになって、そのうちにトレーラーを持ってきたんですよ。それがきっかけでしたね。使ってみるとやっぱり「トレーラーいいな」と思うようになりました。当時は水産の荷物がいっぱいありましたからね。1車でボンボン積めるでしょ。その頃、ちょうど5年前ぐらいに私の孫も生まれましたので、1、2歳となればトミカのミニカーで遊ぶわけです。それがトレーラーだったんですよね。それで私の息子が、そのトレーラーに「蕪島」って書いているんですよ(笑)。

中西:いいですね(笑)。

市沢社長:じゃあ、いっそボルボを買おうか、となったんですよね。ただし子どもたちが喜ぶようなデザインじゃなければ駄目だ、と。ヘッドもトレーラーも好きにしていいけど、デコトラとかじゃないんだよ、と。デザインはお前たち(ドライバー)に任せると。そこから始まったんですが、これがとんでもないものを造ってくるんですよね(笑)。

___ではデザインは、まったく社長は関知していないんですね。

市沢社長:子どもたちが喜ぶもの。それ以外はまったく関知していないですね。私とすれば 孫の顔しか出てこないんですよ(笑)。

ドライバーはすでに空き待ち

___その結果 、ファストエレファントのみならずヨシノ自動車史上、最も単価の高いトラックになりましたが(笑)、その辺は是非、専務から教えてください。

市沢専務:いま社長が言った通りなんですが、同じ走るのであれば皆にその姿を見ていただきたいんですよね。ドライバーの人材不足も今後起こりうる中で、同じ勤務内容、同じ給料の中でもうひとつ魅力のあるものを、ということで「ドライバーが乗りたいトラックに乗らせる」ということを重視しています。おかげさまで人材は引きも切らずで、現在、弊社はトラックとドライバーの数がちょうど一致しているんですよね。やっぱり効果あるんだな、と実感しています。

市沢社長:本当にそれですよね。今でもそうですけど空き待ちで予約が入っているんですよ。これが知り合いの会社だったりするとまずいんですよね(笑)。自分がその会社を抜けるんだったら他のドライバーを入れろ、と。そうでなければ「だめだ」と伝えています。実際のところ YouTubeで紹介されたり、もう青森でも評判のトラックになったと実感しています。トレーラーで仕事をするなら「蕪島だ」と言われるぐらいです。わざわざ津軽から来るドライバーもいるし、あるドライバーは青森市が地元なんです。それなのに八戸にアパートを借りて家族も呼んで、引っ越してくれました。そこまでしてくれるのだったら「良いのを造ろう」と。それでヨシノさんにお願いしたんですよね。

___ヨシノ自動車になったのはなぜなんでしょうか。

市沢社長:私は乗用車でもトラックでも同じだと思っています。いくらかかってもいいからちゃんとしたものを造ってくれと思いお願いしたのですが、予想以上に高かったのでそこは間違ってしまったかもしれません(笑)。

___一同爆笑。

___ヨシノ自動車に発注された2台はドライバーさんの意向ですよね。

市沢社長:そうですね。

初心者でもボルボなら乗れる

___ドライバーさんはもう蕪島高速さんでの社歴が長いドライバーさんなのでしょうか。

市沢社長:いえ、ドライバー歴は長いですが弊社の社歴は短いです。どうしても「トレーラーに乗りたい」と弊社に来ました。当時、勤めていた会社ではトレーラーを入れるつもりがなかったということなんです。じゃあ造ってやろう、と。それでも単車で1年ぐらいは乗ってもらいましたよ。「本気でやってくれるんだったら造ってあげよう」ということです。

___ということはトレーラーのドライバー歴としては、まだ1年未満ということでしょうか。

市沢社長:そうですね。「本当に乗れるのか?」って言いながらでした。弊社のベテランが一生懸命に教えたんですよね。初心者でも乗れるのは、ボルボだから乗れるんですよね。

___ボルボだからですか?

市沢社長:だって昔のトレーラーとは全然、違うじゃないですか(笑)。ハンドルは軽いし、カメラはいっぱいついてるから安心だし。これが日野やUD だったりすると、「その辺でぶつかっているんじゃないかな」と思いますよね(笑)。

___市沢社長はボルボに乗られてみて、どんな風に感じられましたか。

市沢社長:乗ってみると、足回りのクッションがいいというか、よく揺れるというか、それが良いのか悪いのかは人それぞれで分からないですけどね。太いタイヤを履いているのにハンドルも取られないし、「これはいいな」と思いました。あえて言うなら、キャビンが高いので乗り降りがちょっと大変ですね。

___専務もドライバー経験がおありなんですか。

市沢専務:はい。私も東京の中央運送さんで働いていた経験があり、都内を回ったり横浜市の磯子の方に荷物を降ろしたりしながらやっていました。

市沢社長:3年間かけて丁稚奉公していたんです。中央運送は弊社の混載荷物を引き取って、関東で配送をかけてくれるんですよね。修行するなら「あそこが一番いいだろう」と。当時は築地の正門にありましたね。

___大きい運送会社さんなんですね。

中西:中央運送さんは有名ですよ。豊洲に行くといっぱい走っていますからね。

市沢専務:黄色と青のキャブですね。八戸から豊洲まで運んだ荷物を、最終的に担当受け先まで配送してましたね。

市沢社長:前社長は地元も大事にしていたのですが、東京の方も大事にしていました。常に会合とかがあれば顔を出すようにしていました。ですから東京とのパイプは強かったですね。私も何ヶ月か行ったことがあるんですが、中村荷役さんなど本当に世話になりましたね。 そのお付き合いは現在まで続いています。

見せるだけではダメ。トラックは仕事をしなければいけない

___ちょっと話が脱線するのですが、市沢社長はラリーだったりダートラをやられたりと車がお好きなんですよね?

市沢社長:大好きなんですよね。だからトラックも塗装なんかが適当だと許せないんですよ。

___蕪島高速さんはデコトラはダメですが、ユーロスタイルは大丈夫ですよね? その理由を教えていただけますか。

市沢社長:やっぱりトラックは仕事をしないといけません。やりがいも大事だけど、両方ないとだめですよね。だから見せるだけのトラックはダメなんです。飾るだけではダメです。

___なるほど。すごくそれが意外だったんですよね。冷凍屋さんや水産などはデコトラ OK の会社も多いですよね。

市沢社長:今でもそうですね。やっぱり昔の名残りなんでしょうね。

市沢専務:結局のところ、デコトラは荷物を降ろす時もすごく気を使うんですよ。観音開けるのをひとつとっても大変です。傷をつけたらいけないから荷受け先のフォークリフトに乗る人たちも気を使っちゃって大変なんです。すべて荷物にはコンパネを当てて、中に傷をつかないようにしたり。

___なるほど。それをやっていると実用的じゃなくなってきちゃうんですね。

市沢社長:飾れば飾るほど重量も重くなって荷物が積めなくなっちゃいますしね。その点から行くと蕪島高速のトラックは青森のトラック協会からも「是非、持ってきてくれ」とお願いされます。展示をしたら子どもたちが踊り場に乗ってきて「大変だった」という話でした(笑)。もちろん蕪島高速のトラックは車検に通りますし、違反にはなりません。

こんなカスタムで社長を驚かせたい!

___では、その辺を製作監督のアルフレッドさんに訊いてみましょう。

アルフレッド:最初に600番(車番)の話を聞いた時、サプライズ的な要素が多すぎました。そもそも社長が決めているわけじゃなくて、ドライバーさんが「こんなカスタムをして社長を驚かせるんだ」って言っていたんですよ(笑)。

___そういうサプライズなんですね(笑)。

アルフレッド:じゃあ、この仕様は知らないんですか?と訊いたらドライバーさんは「知らないですよ」って言うんですよね。「言っちゃだめですよ」って。だからもう不安しかなかったですね(笑)。

市沢社長:私もまったく知らなかったので、「何を造っているんだろう」と思っていましたね。

アルフレッド:最初の注文が「車体の半分をオレンジ、もう半分を紫にしたい」と。そもそもファストエレファントでも色が別々というのは初めてなんですよ。ほとんどのデザインが左右対称ですから。最初は不安だったもののだんだん面白くなってきて、進めているうちに「いいな」と思えるようになってきたんですよね。実際にエアブラシが入ってみると別の2台の車に見えちゃう。同じ車をサイドから同時に見ることはないから、2台分の面白さがあるんですよね。

こだわりに最大限にこたえるファストエレファント

___なるほど。

アルフレッド:とにかく「新しいものがやりたい」とおっしゃられるんですよね。その新しいものへの追求が強くて私自身もかなりプレッシャーでした。これだけ大がかりになるとよくある架装や造りじゃ納得いかないだろうなと思った時に、それなりに溶接が得意なところに頼まなきゃいけないし、エアブラシもそれなりに名の知れてるペインターにお願いしなければいけない。ほんと、すごくこだわっているんですよ。このスチームというか 煙の文様も、ステージをイメージしていてスモークの強弱までこだわりぬいています。

___すごいなぁ。

アルフレッド:話を聞いてるうちに「これはどうすればいいんだ」と思っちゃいましたね。 打ち合わせは何回もしたし、例えば新しさで言えばカンガルーバーにステンレスを貼るとか、最新のフォグランプや作業灯を用意したり、本当に充実したカスタムにはなりました。 でも最後まで「結果は満足してもらえるんだろうか」という心配がつきまとっていました。 私自身も車が出来上がって「結果これで良かったな」と安心できました。何度もドライバーさんには来ていただいたし、見ていただいたこともあったのでのコミュニケーションの勝利だと思いますね。

___なるほど。では社長としてはご満足いただけたんでしょうか。

市沢社長:ええ。もちろん満足しました。

中西:私も「本当にすごいトラックができたな」と思いましたね。

アルフレッド:もう1台(500番)の方は、その意味では大人しいんですよね。その前に蕪島さんで1台(600番)造っているからその経験が生きました。僕としては2台とも好きですね。もう1台の方は煙突がついているのですが、久々に煙突をつけてみて「やっぱり煙突いいな」と思いましたね(笑)。

市沢社長:そうなんですよね。もう一台もシンプルな良さがあるんですよね。それでもう1台を見ると派手さが際立つというか(笑)。

アルフレッド: 2台ともカスタムのレベルはすごく高いと思います。本当にプロの職人たちが作り上げた1台だと思いますね。それもこの職人たちじゃなければ「ご満足いただけなかっただろう」と思います。

市沢社長:この車たちを見せながら仕事ができる、というのは最高ですよね。

すでに話題沸騰だった蕪島高速のカスタム

アルフレッド: 宣伝効果は抜群だと思いますよ。子供たちは必ず振り返るし。狙いはもう間違いなしですね。イベントでも子供たちがすぐ寄ってきますし。北海道のトラックフェスではトータルで2位の成績だったんですよ。実際に造りたてで2位を取っちゃうってすごいと思うんです。基本的に海外のコンテストもそうなんですが、こういうイベントではスカニアが強いんですよ。

___なるほど。

アルフレッド:スカニアって手を入れなくても、見た目がもうすでに仕上がっているんですよね。その中では大健闘だと思うんです。1位を取った今日和さんのトラックはもともと他のイベントにも出ていて認知度がすでに出来上がっていました。その中で、初お披露目で、その場所で初めて見てお客さんが評価してくれた訳ですから。

市沢社長:来年、箱がもう1台来るんですけど、今度は一体何を描くんだろうと心配ですね(笑)。

アルフレッド:ファストエレファントのお客さんたちも塗装も架装も「蕪島さんのところが一番すごい」って噂しているんですよ。どの会社も基本的に車にかけられる架装費というのは決まっているので、ここまでお金をかけられるというのは憧れなんですよね。とはいえ、ファストエレファントに車を頼む人は、なんでかんで最終的に1000万ぐらいはかかってますけどね。

中西:いやー、すごいですね(笑)。

___社長がそれを言いますか(笑)。

中西:蕪島さんのトラックも、川崎の工場で完成する前の塗装が終わった時点で初めて見たんですよね。この塗装は「初めて見た」と思いましたよ。ちょっと、これ大丈夫って?

アルフレッド:そうなんですよ(笑)。市沢社長が知らないというのが、不安でしかなかったです。

市沢社長:本当に何も知りませんでした。半分半分で見え方が違うって言うから「もうやめてくれ」って感じですよね(笑)。2台目も半分半分にするの?って聞いたら「2台目はそのままですよ」って言うからちょっと安心しましたね(笑)。

デュアルクラッチは最高。でもボルボはシングルで充分!?

___ここまで振り切ったカスタムをしているからこそ、これだけ注目もされていると思うんですよね。

市沢社長:どちらも「これはこれで綺麗だなー」って見るたびに思うんですよね。いま2台 ほど 5年前ぐらいのボルボがあるのですが、故障が多いのでそろそろ買い替えを考えているんです。1台はミッションがデュアルクラッチなんですが、あのミッションが良くないんですよね。

アルフレッド:デュアルクラッチは「一番最初のモデルは故障しますよ」ということをあえてお客さんに言うようにしていました。クレームを言われる分には問題なくとも、最悪だと何日もトラックが止まっちゃうことになります。我々としてもデュアルクラッチは初めてだから原因究明に時間がかかってしまうんです。「そのリスクがあるよ」ということは工場からも営業に伝えてありました。デュアルクラッチは最高なのですが、普通のIシフトもすごく性能がいいから充分だし、変速はとても速いですよ、と。

市沢社長:何でクラッチをデュアル(2つ)にする必要があったんだろうか、と。トラックのクラッチはシングルでいいだろう、と。UDに勧められて買ったものの「余計なことしないで欲しかった」という感想ですね(笑)。

中西:機能としてはすごいんですけどね。レーシングカーと同じなわけですから。

アルフレッド:機能としてはピカイチです。この間のトラックショーでのスタートダッシュでも、やっぱり優勝したのはデュアルクラッチ搭載車でした。ほぼ加速の仕方が無段階変速ですもんね。

中西:あの時、横から見ていても変速ショックはほぼなかったですからね。ちょっと頭が上がったぐらいでグワーッと走っていきました。

アルフレッド:Iシフトで機能としては十分なはずなので、お金をかけるならカスタムにかけた方がいいです。馬力は選んだ方がいいと思うんですけど、車はスタンダードで充分。それとフルエアサスがやっぱりいいですね。駐車中はベタベタにして下につけたくなりますよね。それで内装にもお金をかける。最初から「ラグジュアリーにする必要はないんだよ」と。ファストエレファントでいっぱいいろんなパーツを出してるんで(笑)。

中西:その方が安く済むしね(笑)。

東京から離れるほど深刻な2024年問題

___オリジナルパーツが今、充実してますものね。ちなみに蕪島さんは2024 年問題にはどのように取り組まれていますか?

市沢社長:青森県とか福岡県とかが一番、2024年問題の影響が大きいと感じているんです。 八戸はまだいいのですが、青森や津軽は8時間では東京に着かないんです。埼玉あたりで止まらなければいけないんですね。八戸まではどうにか豊洲につけるんです。ですから積み込みや積み下ろしなどは、かなり時間を抑えていかなければいけない。30分で積むとか1時間で積むようなことを考えなければいけない。このままだと 2024年問題を完全にクリアすることは難しいですね。無理です。

___厳しいですね。

市沢社長:「どう解決すべきか」と言ったら、やっぱり運賃を上げてもらうほかない。それか翌着だった荷物を翌々着にしてもらうとかですね。雇用の側面からいっても、ドライバーの給料は上げていかなければいけません。作業もできるだけパレット積みにして簡略化していかなければいけません。ですから現在、弊社で混載しているものもほとんどパレット積みにしてあります。集めてきた荷物を全部、ラップを巻いてパレットで積んでいるんです。

___もともとはバラ積みだったのでしょうか。

市沢社長:バラ積みでしたね。天井まで積んでいました。天井に「あと3つは荷物が積めるだろう」なんて言っていましたよ(笑)。満載の荷物を見て満足だったんですよね。パレット積みになると上がスカスカでしょ。「何やってんだろう」と思っちゃいますよね(笑)。上まできっちり積むのが自慢だったんですよね。「あと1個しか荷物が積めないよ」っていうのが良かったんですよ。

___バラ積みの美学ですね(笑)。市沢専務の目から見て今後、2024年問題も含めて 蕪島高速は「どうしていくべきだ」と思いますか。

市沢専務:来年は働き方改革になるわけですが、業界それ自体が衰退していく危機感もあります。それでいてやっぱり私たちは荷物を全国に運んでいくという使命がありますので、 それを恰好いいトレーラーで全国へ運びたいという思いがあります。八戸から東京に行くのも8時間から9時間はかかるんですが、 少しでもこの辺の名産を全国の皆さんにお届けできるように頑張っていきたいなと思います。

八戸から東京へ荷物を運ぶ矜持

___この辺の名産と言うと、やっぱり水産になりますかね。

市沢社長:烏賊(いか)に始まって鰯(いわし)や鯖(さば)ですね。アルゼンチン産なんかが入ってくるのがこの時期(11月下旬)で、6月頃から烏賊が始まります。それと同時に大根や人参と言った野菜が始まります。この辺りの運送会社はどこも6月から忙しくなるんです。烏賊、鰯、鯖そして最後に鱈(タラ)ですね。こうやって1年が暮れて行くんです。

___前から不思議だったのですが、水産を中心にやっている冷凍屋さんは帰り荷ってどうされているんですか?

市沢社長:八戸中央青果の野菜、あとは水産加工の原料を関東から運びます。原料をもってきて八戸で加工してまた東京に持っていきます。それがあるから水産が衰退していても、なんとかなっているんです。

市沢専務:やっぱり鮭の原料ですね。それを商品にして、また東京に運んで戻すというイメージでしょうか。

市沢社長:例えば極洋水産さんの鮭は美味いんですよ。カナダ産やロシア産、チリ産なんかを原料にしています。加工会社によってそれぞれ味付けが違うのですが、極洋水産さんのを先に食べちゃうと他は食べられないです。

___そうなんですね。そこまでオススメされたら食べてみないとですね(笑)。では市沢社長からも今後の蕪島高速について抱負をお願いいたします。

市沢社長:蕪島高速は運ぶことが仕事です。それがとにかく大事なことなんです。荷物が1個だろうと100個だろうと1000個だろうとちゃんと運ぶ。今後もその信念は変わらずやっていきたいですね。

蕪島高速さんのあのVOLVOを動画でチェック!

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