トラック業界”鍵人”訪問記 ~共に走ってみませんか?~ 第92回
株式会社 岡山熔接所 代表取締役社長 頼定 修様
株式会社 岡山熔接所 代表取締役社長 頼定 修様
トラック業界”鍵人”訪問記 ~共に走ってみませんか?~ 第92回
株式会社 岡山熔接所 代表取締役社長 頼定 修様
株式会社 岡山熔接所 代表取締役社長 頼定 修様
「トラック架装がなくなる!? 危機感とともに未来に向けて研鑽する老舗架装工場の熱量」
今月の鍵人訪問記は、岡山市にある株式会社 岡山熔接所の社長である頼定修様にご登場いただきました。“オカヨウ”で親しまれる老舗であり、その架装技術は数々のファストエレファントのデモ車に発揮されてきました。その名前の通り、溶接技術に定評があり、アルフレッドいわく「塗装技術も天下一品」とうなります。そんな岡山熔接所の頼定社長に訊く看板商品である“リアバンパー”について、そして職人技術の継承や将来像、さらには地元の水島や福山といった鉄鋼産業の盛衰についてもお伺いしてきました。そして頼定様が太鼓判を押す、日本一の架装品質とうなるメーカーはどこなのでしょうか?トラック架装業界必見の内容です。
編集・青木雄介
WEB・genre inc.
頼定 修(よりさだ おさむ)様
株式会社 岡山熔接所 代表取締役社長。1971年 岡山市生まれ。1989年 岡山会計学館専門学校(現ビーマックス)、1991年
日本システム技術(大阪)入社後、日立製作所敷地内(茨城県)へ電車制御システム開発のため派遣される。2000年 入社。2019年代表取締役社長に就任。現在に至る。
―――まずいかにファストエレファントが岡山熔接所さんを信頼しているかというところについて伺いましょう。愛が強いですからね。まずアルフレッドさんから、なぜ岡山熔接所さんとお仕事するようになったのかを教えてください。
アルフレッド:頼定さんに出会ったのはドイツなんですよ。ドイツのIAAのトラックショーで、同じグループで行動していました。その時に頼定さんがいました。身なりが「ちょっと怖い人だな」と思っていましたが(笑)、すぐ打ち解けられました。その中で「架装をやってる」という話から「やってみますか」と盛り上がりました。その時までは架装のレベルも全然分からなかったんですよ。一番最初にやったのは蕪島さんのボルボです。
頼定:最初が一番難しいクルマでしたね。
アルフレッド:蕪島さんを交えて打合せをしたのですが、すごく良かったのは打ち合わせの中で融通がすごく効くんですよ。「ここをこうしたい」ということを、こと細かくやっていただけました。やっぱり架装業界は職人肌の人が多いですよね。
―――そうですね。
アルフレッド:そうすると、どこかでこちらも折れないとダメなんですよ。その融通の利き具合がすごく良かったんです。私も自分がプロデュースする車にこだわりがあるので「こうしたい」だから「こういうパーツを付けたい」という願いを一番かなえられる架装屋さんだなって思いまして、そこからお付き合いが始まりました。
―――それがいきなり難易度の高い蕪島さんだったんですね(笑)。
中西:蕪島さんの1号機だったよね。左右色違いの。
―――中西社長に伺いたいんですが、ファストエレファントも協力会社さんにお願いをして初めて仕事が成立するみたいなところはありますよね。
中西:ヨシノ自動車は架装も、塗装も含めてかつては手がけていました。その昔、僕が入社する前の学生時代には、自分も塗装を手伝っていたりしていた時代があったんです。でもそこからだんだんいろんな法律ができて、環境整備の必要性があった時に弊社がどうしても本社が街中にあるというところから、新しい投資ができなくて結局全部、外注に任せてやめていったという経緯がありました。昔は塗装専任の方が2、3人いたんですよ。
―――そうなんですね。
中西:僕がそこから数年経って、社長を引き継いで5年、10年と経っていく中で、やっぱり他の同業他社さんが中古車を自分たちで仕上げたり、新車の架装を自分たちでやっていたり、ダンプのボディ架装をやっていたりと見ている内に「いいな」という憧れはずっとあったんですよ。
―――なるほど。
中西:ボルボを販売する中で一部のお客さんが「ヨーロッパみたいなカスタムをしていきたい」と考え始めました。それを我々ができる範囲ではやっていましたが、どんどんオーダーのレベルが上がってきて、弊社じゃニッチもサッチもいかないという中で、協力会社さんに展開していきました。弊社のFEは2017年から始まりましたよね。そこで改めてアイコン化して、ブランディング化することで、お客さんの評価をいただけるようになりました。でも仕事の量は増えているけど、「自分たちで出来るキャパは全然足りていない」というところから、さらに色々な協力会社さんとの接点を持っていって現在に至っています。経緯としてはそうなんですよね。
―――確かにそうですね。ファストエレファントへの期待とアルフレッドさんのやりたいことがリンクして、架装が高度化しているのが一番大きいですね。頼定社長がファストエレファントから受注を受けた印象はいかがだったでしょうか?
頼定:アルフレッドさんに初めて会った時は、「なんでこんなに日本語が上手なのかな」と思いました(笑)。ファストエレファントについても、どんなことをしているのかあんまり詳しく知りませんでした。同道してくれていたKWDの宇山くんを通して話は聞かせてもらいましたので、「一緒にやりたいね」ということで「ぜひ一回コラボさせてもらってうちの評価を見てよ」とやらせていただくことになりました。弊社は全国にある日本自動車車体工業会に弊社も加盟させてもらっていて、その横の繋がりが多少あったりします。ファストエレファントが他に外注先として出している鹿島旭自動車ボデーさんや愛宕自動車工業さんなどは知っているし、中には見に行ったことのある会社さんもありました。実際にいろんな人と話をすると「ファストエレファントとの繋がりがなぜあるの?」ってよく聞かれるんですよ。
―――そうなんですね。
頼定:岡山と神奈川で遠く離れているのに「どこに接点があるの?」みたいな訊かれ方をよくするんです。「ドイツで出会った」と言っても誰も信じてくれないんですよ(笑)。
―――もともとKWDさんとはどういう繋がりだったんでしょうか?
頼定:宇山君が前職の仕事でお付き合いをさせていただいていました。当時はテールランプの話をしていたんですけど、その繋がりで仕事以外の相談を受ける間柄にもなりました。
―――なるほど。実際にファストエレファントの仕事はどうだったんでしょうか?
頼定:最初は驚きましたよ。蕪島さんみたいに新車をあそこまでフル架装するお客さんは少ないです。もう年々、減ってきているのですよ。昔は確かにありましたけど。
―――デコトラ界隈ですね。
頼定:そうです。デコトラはまだ東北地方には残ってるんですけど、こっちの中国地方や大阪から西方はもうほとんど無いですね。道路運送法の法律が厳しくなっているからですよね。もちろん会社ごとのコンプライアンスがあったり、やりたくてもできなくなってきているのが実情で、ちょうど切り替わり時に、アルちゃんがつくるセンスのいい車が現れた。上品な感じを目指してやっていますよね。あそこまで架装をやらせてもらえるというのは、僕らの職業にとっては良い仕事というか、やらせていただいてありがたい仕事なのです。
―――やりがいのある仕事ということですね。
頼定:そうですね。現場もものすごく嬉しそうにやってくれていて、この作業を「嫌だ」という人は誰もいなかったです。
アルフレッド:基本的には踊り場や、煙突だったり、塗装ももちろんお願いしていて、ワンオフの部分は全部お願いしました。
―――なるほど。すごいですね。
アルフレッド:自分も作業している期間中は早く進めたいのもあって、一緒に作業させていただいたりもしました。それができるからなおさらありがたいですよね。
―――リアのボックスガーニッシュみたいなワンオフもそうですよね?
頼定:リアのバッテリーのところを外せるやつですね。あれも全部手作りで造りましたね。
―――クルマの説明を受けて、難易度の高そうなところは聞くと「岡山熔接所」という印象でした。
アルフレッド:加工が上手い、下手というのは絶対あるんですよ。仕上がりはそこが重要になってきますよね。最終的にビシッと決まって、溶接も綺麗に処理されていて感動しましたね。
―――なるほど。
頼定:溶接は手が抜けないんですよ。会社名ですからね(笑)。
―――確かにそうですね。そんな岡山熔接所さんの歴史に触れていきたいのですが、創業はいつごろでしょうか。
頼定:ネット上では1955年と謳っているのですが、調べていくと1950年より前にありました。もう誰も知っている人がいなくなって、僕らには分かる人がほとんどいないのです。父親世代は5人兄弟で、もう3人亡くなっていて、私の父親が4番目です。現在、施設と病院を行ったり来たりしています。パーキンソン病という難病を患っています。
―――そうでしたか。お父様はかつての会長さんでしょうか。
頼定:社長でした。会長というのは父親のお兄さんがいて、お兄さんが会長としてやられていました。その後に会長が退く話になった時に、父親が「その仕事をするよ」という形で引き継ぎました。それから父親の体が不自由になりまして、「社長を交代しようか」という話になって僕が社長になりました。今年で5年目です。
―――なるほど。そこから現在に至るんですね。では岡山熔接所さんの得意なところを教えていただけますか。
頼定:得意なのは特許も持っている、リアバンパーという後ろから追突されるのを防ぐ装置です。それが一番得意で、どの車にも取り付け可能です。海外にも販売できる装置なのですが、ルートを持っていないので販売はしていません。日本では北海道から沖縄まで代理店を作って皆様にご協力して頂いています。
―――リアバンパーはダンプなどに取り付けてあるのを多く見ますね。
頼定:基本はそうですね。
―――リアバンパーは、どういう構造でしょうか?
頼定:リアバンパーは普通乗用車に追突されたときに当たって、曲がりすぎたらダメなのですよ。衝撃を吸収もするけど、曲がり変形がないぐらいの強度がないと厳しい。要は壁みたいなもので、潜り込み防止の役割を果たします。そういう装置が推奨されていました。
―――なるほど。
頼定:でもどこもバンパーに興味はなくて、やってなかったわけです。もう30年以上前の話です。けれども弊社はバンパーに特化してやっていました。バンパーの動かし方も進化していて、昔は油圧で動かしていました。ダンプアップするのも三つ股にして流してましたが、それをすると工場でオイル漏れをしかねません。そういったクレームがあったので、他に変わるものを探していたときに、当時はまだエアブレーキはなかったのですが、エアタンクがあったので、それを使って「シリンダーを動かしましょう」というのが、当時の会長さんのひらめきで始まりました。エアを使うことによって、配管からこぼれたとしても空気なので、汚しません。
―――そうですね。
頼定:それからがきっかけで、ずーっとそれを採用してます。エアの配管を組むというのは、すごく画期的でした。
―――なるほど。そういう架装が多かったのでしょうか?
頼定:多かったです。ダンプ架装が多かったですね。ダンプシートがあったり、まあ、皆さん、「コボレーン、コボレーン」と、都会ではよく言いますが、あれは兵庫の中播工業さんの商品名なのですよ。
―――あ、そうなんですか(笑)。
アルフレッド:東北の方では、「あふれん」っていうらしいですけどね(笑)。
頼定:地域によって呼び名が違うし、もちろん架装の仕方も違います。僕らは全国に行かせてもらって、そういうそれぞれのダンプの造り方を見た時に、岡山はこういう造り方をするけど、こちらはこの様な造り方をするのですね、みたいな意見を言い合って、「岡山さんのやり方いいね」って採用してもらうときもあるし、僕らも「そちらのやり方いいね」って真似することももちろんあるし。そういう意味で、横の繋がりも出来ていきます。
―――架装業者同士で切磋琢磨しているというか、研鑽しているんですね。
中西:ダンプは、本当に地域によってまったく違いますもんね。ボディ自体の造りも違うし、その後の架装するダンプシートも取り付け場所も違うし、なんであんなに違うんですかね。
頼定:確かにそうですね。ダンプは関西が強いですよね。
中西:そうですよね。
―――そうなんですか。初めて知りました
中西:実際にそうなんですよ。例えば中古車販売で関西の大阪仕様のダンプを買ってくると、関東じゃ売れないんです。
頼定:ああ、そうですよね。
中西:だから抹消とかになっていると、関東では新規登録しようとすると出来ないんですよ。大体よくあるケースはゲートのヒンジの高さに引っかかったり、関西では後ろにもシートがついてくるんですけど、あれはもう関東では絶対にダメなんですよ。
頼定:はい。大阪、兵庫、京都はOKです。
―――なるほど。そこだけで一つの文化圏になってますね(笑)。
中西:独立自治区です(笑)。
―――他には出せない門外不出のダンプ仕様ですね。
頼定:プレートが生きていて、地方に持って行ったら車検を通ります。あれはおかしいですね。
中西:継続は受けられるんですよね。だから弊社では抹消されたダンプとかは絶対に触らないです。なんで安いんだろう、これだけ程度にいいのにと思ったら、リスト見たら、あ、抹消かと(笑)。今でもそうですから。
頼定:だから岡山だとその後ろは外します。今の法律にあったものに改造しないとダメなのです。ダンプは意外と奥が深いですね(笑)。
―――やっぱり岡山熔接所さんはダンプが多いんですか?
頼定:昔はダンプですね。もちろんボディも造ります。箱から造ったりもします。「新車だったらオカヨウ(岡山熔接所)さんに出しとったら大丈夫」ということで、要は、架装もしてくれる、電気配線もする、塗装もする、みたいな感じで、ほとんどの営業さんは丸投げされますね(笑)。
―――それが出来るのは営業からすると大きいですよね。岡山熔接所さんの仕事の秘密は、やはり職人の技術力が高いってことに尽きるのかなと思うんですけど、どうでしょう?
アルフレッド:そうです。職人としてのレベルが高い。信頼できます。
―――こうでしょ(笑)。アルフレッドさんは、とにかく熱く語るんです。オカヨウさんは職人がとにかく素晴らしいと。職人が、語る職人の素晴らしさですから、素晴らしいことだと思うんですけど。
頼定:嬉しいですよ。でも他の県の架装業者も僕は見るから、やっぱりその県に行けばすごい方がおられます。「うちの子らより働くぞ」って、冗談でその子に、「うち来るか?」と誘ったこともあります(笑)。横に社長がおられて、ダメダメとか。一番の働き手を失う訳にはいかない、と。やはりその会社で、右腕のような有能な方がいらっしゃいますね。
―――なるほど。ともかくも良い職人さんを育てるシステムが、岡山熔接所さんにあるということではないでしょうか? ずっと会長の時代から引き継がれてきた徒弟制度のようなシステムが。
頼定:会長の時代は、職人さんに横について、「見て覚えろ」なんですよね。今の子たちに、それはしません。弊社はISO(国際標準化機構)認証を、もう15、16年前に取りましたが、その際に社内でルール作りをしなくちゃいけませんでした。初めて来た子でも、できるような仕組みを作りなさいって言われていて、その文章を私が書きますよね。最初は読みますよ。読みますけど、あんまりそこまでは読みこんでいません(笑)。それはともかく、今日は何の仕事をしたかという記録は残すようにさせていて、それを僕がチェックする日課はやっているのです。
―――はい。
頼定:でも、それを書けない子も中にはいるわけです。その時は書けてない子を呼んで、訊くと、「僕、何したらいいか分からないです」っていう子もいます。そこはもう、マンツーマンで話します。「思っていることを伝えて」って言ってあげます。少人数なので、ちょっと雰囲気悪いなって思ったら、すぐ分かります。みんな集めて、そこでいろいろ話をして、衝突することももちろんあります。衝突があったとしても、僕がまとめてやって、やる気を起こさせているようなルーティンはありますね。
―――社長にお話しを伺っていると、社長の人間力でグイグイ気難しい職人たちが、ついていくような感じがします。
頼定:でもそれでありがたいことに、辞めるっていう子がいません。
―――素晴らしい。
頼定:それは正直な話をすると、給料だったり、休日であったり、うちと同じぐらい出せる架装屋さんって岡山には「そんなにない」と自負しています。弊社が「なんでそれができるか」と言ったら、自分のブランドとして、リアバンパーを持っていて、リアバンパーが一本出たら、その子の給料ひと月分が出るからなのです。極端な言い方ですけどね。それがあるのが強みと言えると思います。
―――そこはやっぱり大きいんですね。
頼定:車(トラック)が入ってなくても、パーツだけ注文が入ることももちろんありますから。
―――なるほど、なるほど。
頼定:僕らもディーラーさんを相手にしていて、ディーラーさんから直接取引をさせてもらっているのですが、メーカーが今回のように「不正をしました」となれば、トラックの出荷が止まるわけですよ。その間、「何もできない」ということになってしまう。そうなると、中古車屋さんであったり、トラックを預かっている方との取引もルートとしてはあるから、そこに「何か架装するトラックない?」と訊いてみます。お客さんも新車が出てこないなら、中古車を買おうかとか、新古車を買おうかっていう話が出てきますよね。そもそもお客さんとの直接取引があんまりないのですよ。
―――そうなんですね。
頼定:もう10社あるかないか分からないですよ。直接取引は基本しなくて、基本的にディーラーさん通して仕事をやるようにしているんです。支払いの回収も大変ですからね。でも、その商流が最近、崩れつつあると感じています。
―――あれれれ。
頼定:ディーラーも仕事が出せないのです。だから車が入ってこない。そうなると、これまでの商流も飛び越えるわけです。弊社も、岡山では老舗です。かれこれ70年以上になるので、もう大体の方が知ってらっしゃるから、相見積もりに入れてもらえる。でも「ここは高いね」なんて言われてしまいます(笑)。「決して高いだけじゃないんだ」とそのたびに言いたくなります。今回、ファストエレファントとコラボさせてもらって、蕪島さんのトラックをいろんなところで皆さん、見ていらっしゃいます。ネットの記事であったり、YouTubeももちろんそうですし。
―――はい。
頼定:その中でアルちゃんが、オカヨウ、オカヨウって連呼してるから、「あれって岡山の岡山熔接所のこと?」って訊かれるのですよ。そのたびに「そうよ」みたいな話で、「オカヨウさんってこんなことできるの?」みたいな仕事の話につながったりもしました。これはありがたいですね。
―――素晴らしいですね。
頼定:それで「同じような仕様で造って」という話が来たりもしました。
―――なるほど。
アルフレッド:なんか、景気よくしちゃった(笑)。
頼定:蕪島さんのトラックはプラットフォームのところを開くようにしていましたが、あれもアルちゃんと一緒に行った時に同じ発想がドイツにありました。「あれを造りたいな」と言っていて、通常は固定のまま切り抜いて、燃料タンクのところに施行するんですけど「それでは面白くないよなぁ、ここ開けてもいい?」と提案しつつ造らせてもらいました。でももう結構、いろんな会社さんで同じことをやっていますね。
―――もう出てきたんですか!やっぱり真似されちゃうんですね。これ頼むんだったら、岡山熔接所さんができる。特にボルボの架装関連で仕事が入ってきたら素晴らしいことですよね。
アルフレッド:そうです。こっちの思いがどれくらい伝わるかっていうところですね。やっぱり職人さんを操るのは難しいんですよ。それで自分が一緒に現場に入ってみると「現場に入るの大事だな」って思うんですよ。難しい人は難しいですよね。それはどこ行ってもそうだけど、「この人とは仲良くなれないな」って人が出てくると、良いものはできないんですよ。
―――ちゃんとコミュニケーションができないですからね。
アルフレッド:そうそう。だからすごくコミュニケーションしやすいと、任せている上ではすごいプラスですよ。
頼定:弊社の従業員たちでも、アルちゃんとこういうお付き合いさせてもらううちに、ヨーロッパの車をイメージしてネットを見て勉強しだしました。それで、「社長。こんなイメージありますけど」と提案してくれたりする機会がすごく増えました。
―――やっぱり刺激を受けるんですね。
アルフレッド:最初、伺った時に、ホワイトボードに、僕がお願いしたいイメージをいっぱい並べてありました。なんか、そのやり方が誌面で映える写真を探しているみたいな感じで「面白いな」と思いました。一件目の仕事が終わって、「次もまたお願いしたい」となって僕らがまた岡山に来ますよね。「こういう風にしてほしい」と言ったら、「また無理いうんでしょ」って(笑)。「そう、よく分かったね」って言える間柄なんですよ(笑)。すごくいいんです、そこが(笑)。
中西:本当に良さそうですね(笑)。
アルフレッド:勢いを作るための体制があって、チームワークとやる気が伝わってくる。
頼定:他の県の架装屋さんに行くと、例えば3レーン、4レーンある会社さんは、職人を2人、2人、2人という感じに配置して、1台に8人ではやりません。レーン毎に2人ずつで作業をされていますね。そうすると同じ会社から出てくる車でも、仕上がり方が違うのですよ。
―――レーンによってバラつきが出てきちゃうんですね。
頼定:レーンがあっても品質を一緒にできるのは例えば愛宕さんです。レーンで作業して、多分最後にみんなで点検しているはずです。だから愛宕自動車としての車が出てくるのです。どの車も仕上がりの完成度が高いですね。
―――そうなんですね。その話、良いですね。架装屋さんから見る架装屋さんのスゴいところ。
頼定:僕らの架装屋さんでいうと、日本で一番のトップは矢野特殊自動車さんなのです。
―――おお。矢野特殊ということはメーカーですね。
頼定:メーカーですけど、矢野さんは社員の従業員が98%ぐらいだったと思います。ほとんどが社員で、2%がバイトみたいな雇用構成なんです。他の架装メーカーさんは、だいたい社員の従業員率が50%ぐらいですよ。あとは外注の派遣さんです。
―――なるほど。
頼定:図面描きとかはメーカーさんがやって、現場は外注さんで回すのが普通ですから、それを考えると、矢野さんが社員率98%というのは「すごいな」と思います。そんな会社ってあんまりないのですよ。だって大手ですよ。
―――やっぱり頼定社長から見ても、矢野特殊のクオリティは高いのでしょうか?
頼定:はい、高いですね。全然違いますよ。値段も高いでしょうね。多分(笑)。もちろんそこにコストをかけていますからね。
―――そうですね。
頼定:それで技術力の高い矢野さんの車が仕上がった後に、我々のところに追加架装で入ってくるのですよ。我々のところに入ってきて塗装であったり、ミラーを換えてくれといった追加架装を行います。国産でなくて海外のミラーに換えてくれとか、そういう依頼がありますね。
―――矢野特殊のシャシーは、ふそうが多かったんでしたっけ?
中西:いやいや。冷凍の箱ならメーカー問わずですよね。昔はタンクローリーとかもやっていました。
頼定:昔はやりましたね。今はやめていますけど。
中西:やっぱり九州では名門で、冷凍の箱のシェア4割ぐらいだったと思います。半分くらいそうですよね。あんなに高くても人気なんです。高いけど、やっぱり弊社でもさっきの中古車の話になると、やはり矢野さんの箱だったら、値段を高く付けます。
―――きましたね!そういう話が好きです(笑)。
頼定:なんで高く付けられるかといえば、質が良いからです。要は冷凍車だったら、冷気がこぼれたら、漏れたらダメですよね。それが矢野さんは漏れないのです。
―――そんなに評価が高いというのは、初めて聞きました。
中西:冷凍箱は昔からですね。自分が査定やっていた10年前とかでも、例えば7、8年落ちとかでシャシーに値段は付けられなくても、「箱を使えるな」と箱に値段を付けていたんですよ。だからシャシーが例えば大型のトラックで冷凍車になると、走行が100万キロとかになっちゃいますよね。そうするともう輸出用の金額になっちゃうんです。それかパーツをとる解体用とか。でも矢野特殊の箱だったら200万円ほど上乗せして付けるという感覚でした。リアルに言うと、そういう感じです。
―――ある意味、セルフでいうところの花見台自動車みたいな感じですね。
中西:それをまた高年式だとか、下手すると新車に乗せ替えていました。
頼定:うん。そうでしょうね。それなら勝負が早い。
中西:だって8年、9年の間に使っているのに全然、性能が落ちないんです。普通に冷凍機だけちゃんと点検して回したら普通に2時間で、-20℃ぐらいになるんですよ。
―――そうなんですね。矢野特殊はメーカーなのにリスペクトできるというのは、職人魂で通じるような部分があるということなのでしょうか?
頼定:うーん、どうだろう。矢野さんで下回りの架装というと、サイドバンパーだったり、フェンダーだったりを施工するのが基本です。でもお客さんによっては、「岡山さんでやってくれないか」という依頼も来ます。でも、あんまり僕はそれを受けたくないのですよ。
―――それは矢野特殊の仕事をリスペクトしているからでしょうか。
頼定:もちろんしています。しかし、大変ですよ。要は矢野さんには頼めなかった、時間がかかってものすごく難しい架装だけお願いされてしまうから。
―――ああ、なるほど(笑)。分かります。そうかも知れないですね。
頼定:ここ岡山に来る前に、広島にも架装屋さんが多いです。基本は広島でどこかが受注して停まりますね。福岡から広島と流れてきてね。ところが、広島でも忙しかったらこっちに流れてきますね(笑)。
―――どんどん依頼が上って来るんですね(笑)。
頼定:あるとき矢野特殊の社長さんにお会いすることがあって、お話を伺ったことがあります。そのとき工場見学もさせてもらって1次架装、2次架装、3次架装というのを経て、「完成しました」という時に、完成した車を検証する方がおられるのですね。
―――はい。
頼定:若い子ですよ。その点検の仕方がすごく衝撃的でした。どんな点検をするかと言ったら、3段積みのワゴン車をトラックの端の斜め対角に停めて、それぞれ1人、計2人を付けます。そのワゴン車の中には、普通の工具であったり、ペーパーであったり、タオルであったりを棚にして3段で入れています。
―――はい。
頼定:いろいろ見ていって、汚れていたらもちろん拭きますし、触って手が切れる場所があったら切れないように細工します。それを、わーっと、1時間かかるか、かからないくらいで見て回って、ワゴンを動かしてまた同じようなことするわけですよ。つまり違う人による二重チェックになっている。その車を見させてもらった時に、出来ばえをチェックさせてもらいました。まあ見事に綺麗に仕上がっていて、あれがとても衝撃的だったのです。
―――全部、触るんですね。
頼定:触ります。なぜかと言ったらドライバーさんが掃除されるでしょ。ちょっと奥の方なんかだと、手が回らないかもしれません。それで奥の方に手をいれたときに切っちゃったりするのですよ。本当はそれで手を切ってしまうと、賠償しないといけないかもしれませんよね。
―――なるほど。
頼定:本当はね。まぁどこの会社も目をつぶってはくれていますけど、そういうところまで行き届いています。あれが衝撃的で、そのチェック体制は弊社でも真似させてもらっています。必ず最終点検できるような体制にして2人は付けれないので、1人にしていますけど。
―――憧れの矢野特殊ですね。
頼定:意外と、この業界なのに若い子が多いです。好奇心の多い子が多かったイメージですね。「自分たちの仕事をもっと伸ばそう」という情熱のある子たちが多かったなぁ。うらやましいですけどね。
―――メーカーですから、片方で本当にまったく同じ仕様の完成車をどんどん作ってるわけですよね。
頼定:多分、完成車を作るグループと架装されるグループがあるでしょうね。
―――架装部門があるんでしょうか?
頼定:多分あると思います。仕上がりが違いますもん。
中西:多分そうかもしれないですよね。昔、取材もしたことがある山田車体さんは何年か前から神奈川の拠点で中古車をリニューアルするという、メーカーがやらなかったことをやり始めたんですよ。最初は本当にリニューアルとして、単に新品にしちゃってたんですよね。だけどそうではなくて、その予算に見合った仕上げにするということで、別部隊にしたらしいです。例えば使用して10年目のウイングだったトラックを、リニューアルするような別部隊にしたと言っていました。
―――メーカー以外の架装屋さんが生き残るための例ですね。もっというと職人さんの技術をどう残していくか、ということなのかも知れないですね。そんな岡山はジーンズしかり職人の街というイメージがありますね。
頼定:ここ岡山市から先に倉敷があって、倉敷の奥に水島という地域があります。水島コンビナートが一番栄えている所で、一番トラックが多い所です。中にはコンビナート内で完結する車もあるわけです。プレートの必要ないトラックですよ。そういったトラックも造ったりしました。幅が2500mmを超える大きいトラックを作ったり、長さが12mより長いトラックを作ったり、不思議な車がいっぱいありますね。
中西:そうですね。鉄鋼ですもんね。弊社の本社がある川崎もJFEの中もそういう車ばっかりでしたね。今回、高炉が無くなっちゃいましたけど。
頼定:あるとき岡山の水島と福山にもありますが、「どっちかを潰す」という計画が持ち上がりました。そういう時期があったのですよ。車も入庫台数が落ちて「岡山潰れるの?福山潰れるの?」という話になって結局、両方残されました。でも優秀な従業員はほとんど神奈川であったり、千葉とか関東の方に転勤されていったと聞いています。結局は高炉を潰して、電子炉のようなものが作られています。
―――鉄鋼の世界は厳しい時代が続いていましたもんね。
頼定:その流れで言ったら、車が減ってそれまで一次業者、二次業者、三次業者とあったのが三次業者の下請けはみんな切られました。それでいなくなったのです。僕らのお客さんは三次業者が多い。トラックは発注から納車まで1年、2年と納期があるから仕事が切られた後に車が入ってくるわけですよ。あれは見ていられなかったですね。
―――なるほど。
頼定:僕らは仕事を受けているから作ってお金もいただきますけど、でもその三次業者に納車されたら使われず、ずーっと止まっていました。そういう時期があったりして、みんな苦労はしましたが、結局どちらも残して今は景気が戻りつつあるか、横ばいでしょうね。でも一度、切られた業者は違う仕事を探して取るじゃないですか。だからもう戻れないのですよ。
―――貴重なお話をありがとうございます。では今後の将来図をお聞かせください。今後どういう車を造っていきたいと考えていらっしゃいますか。
頼定:僕らもよく話していますが、いま国産メーカーが4社あってボルボ、スカニアを入れると6社あります。国産4社の中で1社、2社は減るんじゃないかという話がありますよね。もちろんボルボ、スカニアは残る方ですが、国内のトラックメーカーは圧縮されることになりそうです。
―――淘汰されちゃいますね。
頼定:それまでに10年かかるか、分からないですけど、今後はディーラーさんも自分たちで仕事を抱え込んで「全部、自分たちでしようか」という流れが出てくると思っています。そういう危機感を持っているのですよ。だからこそリアバンパーのように自分たちの製品として、真似できないものも持っているから、そこをいかに真似されないように造り続けたいですね。それと現在、架装をやらせてもらっていますけど、「架装がなくなるかもしれない」とも思っています。要は全部出来上がりで部品の交換だけになる。
―――ありえる流れですね。
頼定:そうなると残るのは塗装だけなのです。塗装は絶対に自分好みの色にしたいし、最後まで絶対残るパートだと思っています。だから塗装のできる子を大事にしたいし、「仕事として大事にしようかな」ということで、こういう新工場も建てました。
新工場内にある新設された塗装ブース。
―――なるほど。
頼定:現場の架装の話をすると、溶接でできることは案外少ないのです。主流の半自動溶接は正直に言うと、なくなっていく方だと思います。今はアルゴンガス溶接という火が飛びちらない溶接法にシフトしてきています。まだそれに技術が追いついてないのが現状で、厚物のような厚みのある鉄を溶接するときには充分に溶け込んでいかないのです。だからまだ半自動溶接の仕事は残りますが、5年後を考えたときになくなる方かなと思ったり。
―――技術淘汰の局面で今後、どこに行くか見えない感じなんですね。
頼定:見よう見まねで、皆さん溶接はされます。結局、自動車なので走ると振動でパーツに亀裂が入りますよね。その修繕のノウハウというのは、やっぱり昔からやっている会社さんの方がよく知っていたりするのです。溶接が割れるというのを初めから僕らも分かっているから、いかにそれを割れにくくするか、いかに1年でも2年でもお客さんに長く乗ってもらえるか。我々の場合、大体が一次架装で新車の時の架装をすると、その車は帰ってこないのですよ。
―――なるほど。
頼定:僕らは車検を扱っていないので、そこがちょっともどかしいところでもあるのです。適時、チェックさせてもらって「そこの山が取れそうですよ」とか「これが今後、外れますよ」みたいなアドバイスをさせてもらって、仕事が入ってくるという流れをいま作っているところです。そういうのも必要ですよね。それからやはり「架装それ自体がなくなるかもしれない」という危機感があります。
―――今後はテスラのギガキャストみたいな感じということでしょうか。何もかも一体化していて金型でドーンと作っちゃうみたいな。
頼定:それはそれとして誰かが組み立てないとダメですよね。
―――いや、人がいらないんです。テスラはほとんどロボットが組み立てちゃうんです。
アルフレッド:たしかに「もう人が乗らなくなるんじゃないかな」という危機感はありますね。人が乗らなくなれば趣味趣向がそのまま無くなっちゃうから、もう架装は必要なくなってしまう。「オーナーさんがこういう風にしたい」というぐらいはあるかもしれないけど、個人レベルで好みのサイドワンパーをつけたり、という架装は無くなるから危機感は持っておいた方がいいんですよね。
―――なるほど。
アルフレッド:そもそも永遠に続くものなんてないから、その都度アイデアを出し合ってやっていく他ないですよ。
頼定:それが多分、今後10年から20年かかると思いますけど、我々が生きている間は「まだ大丈夫かな」みたいな。でも、「その先はどうかな」みたいな話になってきちゃうと思いますよね。うちにも息子がいますけど息子の代だったり、さらにいえば「孫の時代がどうかな」とは思います。確かにこればかりは分からないですよね。
中西:現在も例えばウイングとか箱物系はいわゆる完成車として販売されて、この10年ぐらいでスタンダードになりました。さっき話した山田車体さんなんかも昔はがっつり10年以上持つウイングを造るということをしていたんだけど、そういうところからリニューアルの方に裾野を広げてらっしゃいますね。だから世につれ、そこは変わってくんでしょう。
―――ヨシノ自動車も木更津新工場が出来ますしね。
中西:今回、満を持してじゃないですけど、「自分たちでもやっぱり造れる場を作りたい」というところから始まりました。今まで外に出していたのを内製化しようという目算はビジネス的には3割ぐらいあるんですけど、7割は全然その気はないんですよ。実際の仕事の3割だけ内製化できればよくて、あと7割はやっぱり今まで取引している実績のある協力会社さんとともにやっていきたいんです。
―――共走の精神ですね。
中西:それとあの場所を作るのは、物理的に利益率を上げたいだけではなくて、技術もそうだし、デザインも含めてですけど架装の進化をさせたいんです。井戸の中の蛙でいるよりは、レベルをどんどん上げていろんな架装屋さんの職人さんとの接点の場を作れる環境を作りたいと思っています。単なる工場だけじゃなくて集まってミートアップする場所みたいなイメージですね。そんな人が集まる場所を作りたいんです。
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