株式会社ヨシノ自動車

トラック業界”鍵人”訪問記 ~共に走ってみませんか?~ 第57回

有限会社熊谷商事、株式会社熊谷商店 熊谷 光剛 様

有限会社熊谷商事、株式会社熊谷商店 熊谷 光剛 様

「私がボルボトラックを選ぶ理由 第11回」

ボルボドライバーや導入を決めた企業を招いて、ボルボトラックを語りつくす「私がボルボトラックを選ぶ理由」。第11回目となる今回は、有限会社熊谷商事と株式会社熊谷商店の社長をつとめる熊谷光剛様にご登場いただきます。社長みずからハンドルを握り、ドライバーからたたき上げた初志貫徹の企業家です。そんな熊谷様にボルボを選んだ理由を伺いつつ、昨今の運送事情や運送会社社長としての信念を伺わせていただきました。

編集・青木雄介
WEB・genre inc.

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

熊谷 光剛(くまがい みつたか)様
1974年生まれ。長野県飯田市出身。1998年に熊谷商事を創業。2019年に株式会社熊谷商店を設立、代表取締役社長に就任。現在に至る。

出来るなら社会への貢献活動はすべき

___こちらの本社事務所にはたくさんの賞状が飾られていますね。

熊谷:僕の家は駅の近くなのですが、街灯が暗いので町長に手紙を書いて「街灯をつけて良いか?」と頼みました。弊社で費用をまかなって踏切から踏切までの間に14基ぐらいLED電灯をつけたんです。それと道が狭い地域に、タンクローリーを寄贈しました。購入はもちろん書類の申請から何までやりましたよ。

___社会貢献活動は「会社としてしていきたい」という哲学があるんでしょうか。

熊谷:やはりしていくべきでしょうね。地元で商売をやらせてもらっているのですから、するべきです。もちろん出来ることと出来ないことはあります。でも出来る限りでいいから、やりたいですね。たとえ「売名行為」と陰口を言われたとしても僕はしたいです。何事も言っているだけではなくて、行動に移すことが大事だと思います。LED を取りつけたきっかけは子どもたちが、部活の帰り道が暗くて「怖い怖い」と言っていたのを聞いたからでした。子ども達はもうすっかり大人になってしまいましたが、まだちゃんと電灯は点いています。

___残って役に立ち続けているんですね。何年前ぐらいの話でしょうか。

熊谷:平成23年だから10年以上前の話です。タンクローリーもそれぐらい前の話ですね。狭い道の灯油配送のために、1トンの小さいローリーを寄贈しました。その辺一帯は昔の家ばかりなので、どこも家の横に大きな灯油タンクがあるんですね。400 L のタンクに灯油を入れるのに手では運べません。それであればタンクローリーが必要です。ナンバーは9032で、 僕の名前から取った「くまみつ」にはしましたけど(笑)。レンタカーのナンバーも9032です。ホームページも9032.jp です。

___そういうことなんですね。

中西:分かりやすいですね。

2つの会社の業務内容とは

___全体で社の保有台数は何台ぐらいあるんでしょうか。

熊谷:トラクタと後ろの台車を合わせれば44台ぐらいでしょうか。メインはトレーラーですね。

___現在の業務内容を教えてください。

熊谷:海上コンテナと、原木輸送、それとダンプで産業廃棄物の運搬ですね。二つ会社がありまして運送会社の方が有限会社熊谷商事。産業廃棄物輸送の方は株式会社熊谷商店です。冬は凍結防止の融雪剤の保管倉庫の拠点も担っています。ここはNEXCOさんの拠点になっていて、弊社倉庫から運ばれていきます。その引き取りと配達も弊社でやらせて頂いています。冬は本当に融雪剤の仕事が大忙しです。それでも最近では温暖化の影響が顕著に表れているので、散布の回数が減っちゃっているんです。ちょっと撒いたら、すぐ溶けちゃいます。

___原木はこの辺の材木なのでしょうか。

熊谷:そうですね。何でも運びますよ。木曽檜だったり赤松だったり黒松だったり。

中西:スタンションを立てたトレーラーで運ぶんですね。

熊谷:それにワイヤーでくくるだけです。原木のサイズは大体4 メートルくらいなんですね。それを集めたひと山のことを岳(タケ)って言います。それを3山積んで12 メートルですね。

___シングルのトラクタでも運べるんですか。

熊谷:運べます。ただ石川の七尾市まで行くので岐阜を超えなければいけません。そこにものすごく大きい合板の会社があるんですよ。飛騨高山を超えるので、冬はツーデフの方がいいですね。国道41号線は雪がすごいんですよ。その時期は高速で行かせますし、雪がすごかったら「止まりなさい」と言ってあります。原木なので痛むことはありませんから。それこそバンパーに雪が擦れるような状態になったら「止まれ」と言ってあります。

俺たちは命をかけて運んでいる

___荷主からクレームは入りませんか。雪で走れなくなったりすれば、荷主から催促の電話がかかってきたり。

熊谷:そんなことは絶対に言わせません。それを聞いちゃうから「運送屋が走れない」とか普通に言われてしまうんです。じゃあ「運べますか?」という話ですよね。僕たちはもちろん頭を下げて仕事をもらっています。自分たちでは出来ないからお金を払って、仕事をお願いしてるんですよね。僕は必ずそれを言います。でも一回も怒られたことはないですよ。そんなとき「言い方がきついな」とはよく言われますけどね。それは「申し訳ない。こっちも命がけで運んでいるんだから」と謝ります。

___おっしゃる通りです。

熊谷:こういう話は世間話で言えるような話じゃないですから真剣なんです。荷主だってせっかく自分たちで作ったものを運んで欲しい。自分たちで作ったものが配達先に届かない。配達先に対して時間の正確さもアピールしたいのに外部要因のせいでアピール出来なくて、悔しまぎれで外部要因のせいにしている。ただそれだけです。でも俺たちは命をかけてこの荷物を運んでいる。それだけは必ず言います。

___もっとも大事なところですね。

熊谷:もちろん出来る限りの協力は惜しみません。延着が起こらないように出発時間を早めたり、待機時間を短くしようとか、そういう提案は僕の方でもどんどんしますから。ただ最近は前よりも運行に関して厳しさが増しています。現に今は運転日報に30分以上の積み込みをしたらその場所を記入しなければいけません。それによって荷主へプレッシャーがかけられているんです。そうやって国土交通省が動いています。経済産業省と連携してこれからはもっと強力に推進していくでしょう。今までは陸事(陸運事務所)も自分たちだけの検査をしていれば良かった。でもこれからは違います。間違いないですよ。

2024年問題に備えるために

___なるほど。

熊谷:もちろん我々にも厳しいですよ。今後は時間外労働、月45時間をどうやっても守っていかなければいけない。だからこそ無理な運行は出来ません。

中西:現状の働き方改革関連法と2024年問題ですね(2024年4月からトラックドライバーの時間外労働時間上限が年間960時間に制限されること)。

熊谷:今の改善基準は1ヶ月の総労働時間は293時間。これはもうなくなってしまう。36(サブロク)協定(労使間で結ぶ協定)を結んだとしてもなくなってしまう。これに我々は対応していかなければいけないんです.

中西:実質は1か月あたりの総労働時間が205時間でしたか。

熊谷:そう。220時間やったらオーバーなんです。そこに対応しなければいけないのは我々企業家の使命でもあるんです。できないならやめろ。国はそう動く可能性もありますよね。業界から退けと。やれる会社だけ国は守ると。今までは規制緩和をして「どんどん書類出してくれればいいよ」と会社を許可しながら、この先数年内には最低保有台数20台程度に満たなければ許可しませんとなる。5台で会社を作った新規の会社だってダンピングをすれば仕事が獲れる。だから運賃が上がらない。収益は改善されない。そのためには時間外で走らせる。全く変わらなかった、この構造が変わるんですよね。5年以内に変わるはずです。我々としてもどう対応していくか、そこが大事なんです。

協力会社も守らなければならない

___いよいよドライバーの確保が重要になると思うんですが、実際はどうなんでしょう。

熊谷:無理なドライバーの確保は難しいですよ。基本的に弊社内で回せるだけの仕事を確保しておきます。もちろん増えてくれば協力会社にお願いする。ただし協力会社にも弊社と全く同じ条件で行ってもらう。そういうお願いを荷主さんと交渉しておかないと、お願いは出来ませんね。

___下請けも同じ条件でなければやれないですよね。面倒でうま味のない仕事は下請けに回すという構造が成り立たなくなる。

熊谷:そんな仕事はやってもらえませんよね。「熊谷のところの荷物はちゃんと高速代がつく。だからいつでも言って」。そういう関係性を協力会社と作っておきたいんです。そこはちゃんとお客さんから経費としてもらわなければいけないところなんです。これはね、僕らのところだけでやろうと思ったら絶対に無理なんですよ。

___そうですか。

熊谷:結局は M & A(企業統合)に繋がっていくと思うんですけどね。この辺の近所の運送会社の社長は平均年齢65歳です。だから我々が地元を盛り上げていくほかないんですよ。とにかく我々は何でも運びますから。そして社員の幸せと生活の安定を目指します。それから地域に還元していきたいです。それで何を言われようが関係ありません。そんなことを気にしているぐらいなら我々が目指しているビジネスに、より近くなるために何をすべきなのか考えた方が余程マシですから。社員20人いたらその5、6倍の人数の家族に対して責任を負っているようなものですから。風呂に入る時以外は、常に気合いを入れてますよ。

子どもの頃からトラック運転手になると決めていた

___そんな社長が運転手を始めたきっかけを教えていただきたいです。

熊谷:僕の親父は運転手だったんです。定期便の運転手ですが、小さい頃はよくついて行きました。2日航海とかで、よく東京に行っていました。夏休みと言えば親父について行きましたね。折り返しでもさらにまたついて行きましたからね(笑)。それぐらい好きだったんです。トラックは日野の FNでデコンプのついた前2軸でしたね。通称・蜂の巣グリルです。

中西:懐かしい型ですね(笑)。

熊谷:もうその頃から僕はトラック運転手になると決めていました。高校卒業して地元の運送会社で運転手をやっていたのですが、そこで和歌山の人に知り合って和歌山の運送会社を紹介してもらいました。「大型1台空いてるし、魚の仕事があるけどやらないか」と誘われて、「魚か。面白そうだな」と思ったんです。そもそも地元の会社を辞めてからは青果を運んでいたので市場関係の仕事は面白いと思っていました。夜にパッと市場に行って降ろして、朝まで寝てから一般貨物を積んで帰るというパターンですね。そこで1年かそこらで独立の話をしたんです。

___その会社のカラーリングが、現在の会社のカラーリングにつながっているんですよね。

熊谷:そうなんですよ。地元でもトラックの改造をしてくれる工場があるんですよ。そこの社長にパーツを持っていって色の見本を持っていって造りました。

___最初の一台はどんなトラックだったんですか。

熊谷:この3台ともが僕のトラックでした。1台は「トラックを降りる」という方から現金で買いましたね。

___このトラックは飾っていますが、やはり熊谷社長もデコトラがお好きだったんですか。

熊谷:好きでしたね(笑)。

中西:鮮魚をやっていればもう間違いなく好きですよね(笑)。

熊谷:トラック野郎シリーズはいまだに DVD を見ていますからね。トラックに全部載せてますよ。当時は正月にテレビでやってましたよね。よく見てましたよ。実際には出来ないことですからね。

___実際には出来ないというと?

熊谷:びっくりするぐらいお客さんはデコトラには理解がないですからね。少なくとも自分のお客さんはダメですね。重量だったり、高速使用だったりそういう相談についてはものすごくするけれども、あまりにも派手な飾りをつけているとそういう真剣な話が出来なくなっちゃうんです。その派手な飾りはどこからお金が来てるの?それでも高速代がほしいって言うの?という具合に交渉が不利になります。払う方は払いたくないからそうなりますよね。港の鮮魚の方だとまだ良いんでしょう。むしろ、ウチの看板をド派手に見せてくれぐらいの感じだと思うんですよ。

どうしてもボルボが欲しかった

___やはり文化圏が違うんですね。

熊谷:もう全然違いますよ。長野県は特に保守県です。外部から来た人達で営んでいるような地域じゃないですよ。元々いた人たちだけで成り立っていて、この規模なので外部から来た人への風当たりも強いです。だけどそれだと過疎化が進んでしまうので、高原でオフィスワークできるような設備を整えたり。

中西:シェアオフィス的な感じですよね。

熊谷:そうです。ようやくそんなことを始めている。その程度ですよ。とはいえ外部からの人が住むとなると「やはり風当たりが強いだろうな」とは想像します。長野県のこの南信地方は特にそうかもしれないですね。僕は慣れちゃっているんで、全然良いんですけどね。それこそ神奈川だったりヨシノさんのある川崎に行ったりすると「全然違うな」と思いますからね。横の繋がりが薄いから干渉しない。僕はいつも干渉されているからすごく新鮮なんです(笑)。「じゃあ向こうに行ったらいいのか」と言ったらそれは僕にとっては一時の感情で、本当にそれでいいのかとなると「どうなんだろうな」って考えちゃいますけど。

___ちなみに熊谷社長はなぜヨシノ自動車を選ばれたんですか。

熊谷:とにかくボルボが欲しくて、当時の取引先から紹介してもらったんです。

中西:間に入ってる方から連絡があって紹介を受けたんですよ。

熊谷:ボルボはこの辺で扱ってるところがなかったから買えなかったんですよ。当時はUDで売り出すかもしれないぐらいの話だったのかな。僕はUDの車をいっぱい使っているので地元のUDに聞いたら「知りません」って言うんです。もうそれ以上、全然情報が出てこないんです。それで僕はボルボトラック・ジャパンにメールを書いたことがあるんです(笑)。「買いたいです」って。そしたらカタログを送ってくれたんですよ。でもそれだけ。見積りもないんですよ。

___最初に買われたのは2014年モデルだったんですか。

アルフレッド:そう。出る直前にご連絡をいただいたはずです。

熊谷:出てすぐだったんだな。

アルフレッド:いまやヨシノで1、2を争う販売台数ですから。

熊谷:長野には1台もありませんでしたね。 車検も川崎に行きますよ。だいたい泊まりで。

アルフレッド:あるとき「カーナビをつけて欲しい」って言われました。そのまま「買ってくる」って言って大師(川崎大師)のオートバックスまで歩いて買いに行っちゃったんですよ。

___一同爆笑。

熊谷:ゴリラの一番いいやつを買いましたね。

中西:あそこまで相当に距離ありますよね。

20年以上、突き抜けてきた自負

___ちなみにボルボの感想はいかがでしょうか。その前のお気に入りのメーカーとかはあったんですか。

熊谷:弊社は UD のクオンなんです。ふそうの新車は1台ぐらいしか買ったことないですね。僕が「新車を買いたい」となった時に見積りを出してくれたのはUDだけだったんです。そこからUDだけで40台ぐらい買ってるんじゃないかな。買って4~5年ぐらいで売っちゃうんです。価値が下がらないうちに売っちゃいます。最近は5年だと価値が下がっちゃうので、早い時だと3年ぐらいで売っちゃいますね。

___中古トラック市場にも敏感になりますね。

熊谷:今は駄目ですね。中古トラックが飽和状態すぎます。車が余っちゃってるから買取価格が下がっちゃうんです。ちょっと前まではすごく良かった。それと日本トレクスのトレーラーです。トレクスはディーラーを入れないで直接取引しているので、なんだかんだと20本ぐらい買っているかもしれませんね。それも3年ぐらいで売っちゃいます。

___トレーラーも早く売っちゃうんですね。

熊谷:そうです。1000万ぐらいで買って600万円で売れば400万ぐらいじゃないですか。それでリースを払っていけばいくらかは手元に残りますから。だから古物商もとったんですよ。自動車商として。ちゃんとお墨付きをもらっています。僕は見た目がグレーかもしれないけれど、会社はとてもホワイトなんです。

___一同爆笑。

熊谷:ここは田舎だから外車のトラックに乗っていれば、いろいろ言われることもあります。ですが事実はひとつなので、「いくらでも言ってくれ」という気分なんですね。これが川崎だったら外車のトラックに乗っているとか、そんな小さいことを言う連中はいないんですよ。ここでは僕は少し異質に見えるんでしょうね。

___でも熊谷社長はすでに突き抜けた印象ですよ。

熊谷:もうなんだかんだで20年以上は仕事をしていますからね。僕が適当にやっていればすぐに国交省あたりに潰されちゃうんです。決して楽に仕事はしてないけれども、それでも20年は会社をやっていますからね。続けてきたことに価値があると僕は思う。さて、こんな感じでいいですか?

現行のボルボは100点満点で素晴らしい

___いやもうちょっとボルボの話もしましょう(笑)。国産と比べてボルボはどんなところがいいですか。

熊谷:やっぱり乗り心地かな。国産は室内も狭くて、収納も少ない。少ないっていうかないですよ。そしてベッドが薄くて硬い。後はやっぱり外見でしょう。あのダイナミックさですよ。確かに運送屋として1円あたりのコストを追求するなら、「高い」ってなるのも分かります。でもそうじゃないんですよ。仕事すれば何でも良いってわけにはいかない。穴が開いたズボンで仕事はできない。その感覚があるから、ボルボに乗るんです。そこでやっぱり「目立ちたい」って気持ちは湧いてきちゃいますよね。

___もちろんですね。

熊谷:最初にボルボを買ったのが6年前ぐらいでしょ。その当時は「もっと会社の名前を知ってもらいたい」という気持ちがありました。血気盛んな頃だったと思います。今でこそ、そこそこ知られたけれど、当時は全く外車のイメージがなかったですから。どうやって会社の存在をアピールするか、その選択肢の一つとして外車という発想がありました。もともとはそうだったんですよ。でも乗ってみたら凄かった。そうやって惚れ込んだのは、使ってみたからです。そういえば買うとき試乗したかな?

アルフレッド:最初に弊社のイベントに来ていただいたんですよ。そこで初めて車を見ていただきました。トラックのミニカーがもらえるコーナーに熊谷社長が来たから、当たるように取り計らってもらいました(笑)。「絶対に当ててください」と。

___結局、熊谷さんの会社は何台ぐらいヨシノ自動車からボルボを買ってるんでしょうか。

熊谷:10台ぐらいは買っているかな。

___ということは2020年型のボルボも熊谷社長は乗られてるんですね。

アルフレッド:そうなんですよ。社長は「ボルボのハンドルが重い」とその点は不満だったんですよね。

熊谷:もう新型は全然、違うんですよ!びっくりして。あれはすごいよ。でもね、残念なことにマイナーチェンジしたクオンの方がハンドル軽いんですよ(笑)。1回乗ってみて。

中西:UD アクティブステアリングと言ってボルボアクティブステアリングと同じものがついているんです。オプション設定で組み込んであります。12月ぐらいにヨシノ自動車にも入る予定です。

熊谷:そういえばFH(ボルボ)みたいなテールでしたね。ちょっと短いぐらいで違いはそれぐらいだったですかね。サイドブレーキを解除するとハンドルが軽くなるのかな。

アルフレッド:その辺はボルボと一緒ですよ。それとこれはちゃんと言っておきたいんだけれど(笑)、熊谷社長のボルボは普通のよりハンドルが重いんです。なぜかと言うとサイズが385のタイヤを履いてるからですよ(笑)。

熊谷:あー、そうか。

アルフレッド:ノーマルのタイヤだったらもっと軽いんですよ。ダイナミックステアリングがついてないトラックであのタイヤは、ハンドルが回せないぐらい重くなるんですよ。抵抗が強すぎるんです。

熊谷:それを考えると一番、最初に買ったボルボのステアリングは重かったな。これだけはマイナスだなと思っていたんです。だから現行のボルボは100点満点ですよね。トラックはやはり乗り心地を追求しますよ。運転手にとって1日の運転時間って相当な時間になりますよね。だから運転の快適さを追求したら体力的にも精神的にも楽しく仕事が出来るに決まっています。それはお金には代えられないんです。

ヨシノ自動車の良さとは

___それは社長がドライバーだから分かることですね。

熊谷:いやいやで仕事をされたらいい仕事は絶対できないんです。いい仕事のための環境整備みたいなものですよね。それが出来ないのに「良い仕事しろ、働け、事故するな」って言われてもね。労働環境を変えていくのは企業家としての使命だと思っています。中西さんの所も色々やっていると思うけれど、やっぱりそこですよ。労使の良い関係は作れないですよ。忙しくて「ちょっと悪いけど」っていう時に「ちょっと悪いけど」って頼める感覚。「あ。いいですよ」って言ってもらえるような関係性。つまりその時のための投資だと思っています。従業員に対しての投資ですね、そりゃ高いけどね(ちらっと中西社長を見る)

___一同爆笑。

熊谷:だから今があるって事ですよ。

中西:熊谷社長は、そこここで「高い」を挟んでくるんですよね(笑)。

___熊谷さんの会社はスカニアもあります。ボルボと比べてどうでしょう。

熊谷:R520はまだ昨日来たばっかりで乗っていないんですよ。隣にあった6000番は僕が乗っていました。狭いんですよね。ボルボはベッドの上に収納があるけどスカニアにはないし。ドアも分厚く作ってあるのかな。狭く感じるんですよね。そんなイメージです。ルーフも低いし全高も低いんですよね。ボルボに比べると。

アルフレッド:新型はV8の限定車なんですよね。

___あの新型は社長が乗られるんですか。

熊谷:部下が乗りますよ。僕は乗りません。ボルボ派なものですから(笑)。

中西:ありがとうございます。それは揺るぎないですよ。

___ちなみにヨシノ自動車の良いところってどんなところですか。

熊谷:良いところといえば面倒見のいいところでしょう。我々は県外の客なんだけど、対応はものすごく丁寧ですよね。地元の衆と全く変わらないような対応をしてくれます。訊けばだいたい答えてくれるのも、安心感がありますよね。車両のトラブルがあっても答えがすぐ返ってきます。国産ディーラーにはそういうのがないんですよ。「すぐに車を診ますので入れて下さい」でしょ。「いまどうなってます?」とかは絶対に訊かれないですから。車を入れる方向性でどうしても話が進むんです。ヨシノと言うか、アルフレッドの場合はそうじゃない。エラーの番号教えてって言われて、指示に従うだけです。そもそもの話が「止まったほうがいい」というトラブルはこれまで一回もないです。

お互いが協力しあえる関係を作るためには

アルフレッド:もちろんこの2014年型からはトラブルが減ったということはあるんですけれど、近くに UDさんの飯田支店があるんです。そこと熊谷さんが横の繋がりがあるから、「それ UDさんでやってもらいましょう」ということもできるんです。熊谷さんが UDさんとのつながりが深いからですよね。

熊谷:3ヶ月点検は全部 UD でやってもらっています。しかもちゃんと平日を狙っているんですよ。向こうが忙しい週末に入れちゃダメなんですよ。あえて暇な時に入れられるように弊社で調整するんです。そうすると向こうから車を取りに来てくれるんです。これってお互い様なんです。お互いが痒いところに手の届くような関係性を築いている。「お金を払うからこっちが優位」じゃないんですよ。向こうにだって、ちゃんと儲けてもらいたいんです。そのために弊社が出来ることはやってあげたいんですよね。でもそれによって売上が増えたんです。土日の荷物量が増えました。

アルフレッド:UDさんの偉い人と、どこかの研修で一緒だったんですよ。それで「弊社では熊谷さんのボルボを担当してるんですよ」って伝えたら、「うちもフォローするから今後ともよろしくお願いします」って頭を下げられました。巡り合いが良いっていいますかね。

熊谷:なかなかレアな関係だと思います。そういう巡り合いをこっちで作って行ったんですよ。時間も手間もかかるけど、出来ないことはないと思います。僕だから出来たんじゃなくて他の人でも出来ることなんです。

___日本トレクスとの取引も多いですよね。長野で日本トレクスは強いんでしょうか。

熊谷:営業の担当が良いんですよ。彼は特別なんです。ものすごく行動力があるし、言いたいことを言ってくれる。自分自身もあまりはっきり言われたことがないので、「面白いな」って思うんですよね。「私はこう思います」って言ってくれるんだよね。外部の人が物を言ってくれるという関係はやっぱり大事なんですよ。広い視点で見れる技量をつけるためには、見方を知ることが大事です。自分は必死でやっていますがキャパをオーバーしてしまっているところは気づかないんです。すでにそれ以上の見方ができていないんです。その時にポンって言われると「あっ」て思うけど「そういう見方ね」って後々分かるものなんです。

経営者は本音の意見を求めている

___よく分かります。

熊谷:中西さんもそうだと思うけど、経営者って孤独なんですよ。結局、最後には自分で判断しなければいけない。ある程度の相談はできるけれどもコアな相談は本当に誰にもできないんですよ。あんまり色々と相談していると「決めるのは結局、お前だぞ」って言われてしまう。だからこそ自分の中で検討する材料は極力を多くしておきたいんです。最終的には決めるけど、決めるまでのプロセスを大事にしたい。納得した上で決めたい。決めた後にこんなこともあったんだ、とか絶対に後悔したくない。

___中西社長はどうでしょう。

中西:一緒ですよ。今となればそれができる環境もあるけれど、最初に会社を継いだ時というのは見切り発車が多かったので、熊谷社長が言ったように立場上、決めなきゃいけないから決めちゃったけど「あの方法があったんだ」とか「こんなことも出来たんだ」とか後悔したことは何度もあります。そのためには自分で決めるんだけれども、決める材料は多く持っておきたいんです。その一つの手段として人のつながりだったり、他の人の意見が聞けて、それを言ってもらえる環境や人は貴重なんです。

熊谷:本当に大事です。忖度なく言うんですよ。時としてムカつく時だってあるんですよ。「そこまで言うの?」みたいな(笑)。でも何で言ってくれるのかと思ったら僕のことを思ってくれているからなんですよ。別に僕に喧嘩を売ってる訳じゃない。

中西:実際にそうなんです。社長って肩書きがついてると社員もふくめて周囲は、どうしてもイエスマン的なポジションになりがちなんですよ。確かに社長のごく一部は剛腕で「俺の言うことに全部 YES と答えるように」というタイプもいます。それってその社長が「出来る人なんだ」と思うんです。実務能力が長けちゃっていて社長になっちゃうと、そういう傾向になるだろうなと思うんです。僕は継いでやっているから違うところもあるし、大体の社長は意見を本当に求めているんですよ。本音はね。

昔からなりたかった自分になるということ

熊谷:ありますよね。だからこそ会社ってお客さんに対してアンケートをとるわけじゃないですか。それと一緒ですよ。みんなの意見が聞きたい。「それを教えてよ」とは言いづらい立場なんですよ(笑)。この肩書きが邪魔をするわけです。だからこそ意見を言ってくれる人を大事にしたい。それは価値ある意見ですね。そうやって会社はあんまり儲かってないけど楽しいです。商売をやめたいと思ったことはないな。満足はできないね。一生できないと思う。失敗するとそこで学べるし。大きく失敗すると痛手も大きいけどね。

___大きく失敗して立ち直れない危険もあります。

熊谷:いや、立ち直れないことはないですよ。世の中に立ち直れないようなことはまずないんですよ。自分の信念さえ曲げなければ。ギリギリのやつは「最悪だ」なんてことも言葉にできないですからね。

___確かに。では中西社長はどうでしょう。面白いですか。

中西:たまたま会社を引き継いだというのはあるけれど、「自分に合っていたな」とは思いますよ。経営というポジションも面白いし、親がトラック業界の仕事を営んでいたということが良かったなと思います。僕はもともと全然違う業種から来たんですよ。元々はエンジニアとかをやっていたので営業でもないし、ひたすらパソコンで設計とかをやっていたわけですから。

熊谷:全くの畑違いですもんね。本当に大したものですよ。僕はずっとやりたかったことをやっているだけなので、それこそ子どもの頃からやりたかった仕事ですから。運転手をやって運送屋をやることしか考えていない。あんまり大したことじゃないんですよ。

中西:親が運転手をやっていてトラックに乗っていて、たまに会社に行ったりすればトラックに乗せてもらってという環境はあったにしろ、子どもの頃の夢を思い続けて仕事にするというのはむしろ稀(まれ)だと思うんですよね。

熊谷:そのまま行くのは少ないかもしれない。深くは考えてないけど、今の自分があるのは当然だとは思うんです。「組織になれば利益を出さなければいけない」というのは間違いないんですけど、ただ「昔からこうなりたかった自分になった」ということなんです。もちろん厳しさも味わっていますけどね。いつも利益率が低いからまだまだだなと思わされるんですよ。とはいえ僕には運送屋の番頭やる以外の選択肢は残ってないからね。

あと4年はハンドルを握りたい

___従業員は2~30人いる中で、社長はまだハンドルを握られるんですね?

熊谷:それは他でも言われてるんですよね(笑)。いい加減、うろうろしているなと。まだ走るつもりか、と。「そういうもんじゃないぞ」って説教されるんですよ。そろそろ考え方変えないと、「好きだ惚れたじゃ仕事は務まらないぞ」と。「立場があるからな」と言われるんですよね。僕自身もものすごく考えてるんです。葛藤はあるんですよ。でも出るよ(走るよ)。

___一同爆笑。

熊谷:もうちょっと乗らせて欲しいですよ……。次のマイナーチェンジのボルボ、そこまでは乗りたい。

中西:ということは、あと4年ぐらいは乗れますね(笑)。

熊谷:走るということが諦められないんですよ。

___社長が車を降りると聞くとドライバー達が悲しみますし。

熊谷:そう。「おーい行くぞ」ってみんなで連なって走るのが大好きなんですよね。そうやって面白く仕事がしたい。ただ一緒に並んで走ってるだけ、それだけのことなのに面白いんですよね。それをもうちょっとやりたい。ごめんね。もうちょっと走らせて欲しいです(笑)。

熊谷 光剛(くまがい みつたか)様
1974年生まれ。長野県飯田市出身。1998年に熊谷商事を創業。2019年に株式会社熊谷商店を設立、代表取締役社長に就任。現在に至る。

“事業は人なり 世は師なり” 有限会社熊谷商事様サイト

< 対談一覧に戻る
  • このエントリーをはてなブックマークに追加